晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

木本兄さん

本日の終わりにこの記事を執筆している。
先ほど、風呂でシャワーを浴びているときに、なぜなのかしら?ふと思い浮かんだワードが「木本兄さん」だった。

 

思い付きで恐縮だが、今回はその「木本兄さん」の話をしたいと思う。
興味津々だろう?ではどうぞ。

 


高3の春。剣道部に所属していた私は「今年はどんな新入部員が入ってくるのだろう?」と少しばかりワクワクしながら最上級生としての生活を送っていた。


我が剣道部は、我々3年が5人、2年が2人と小さい所帯だった。2年からしたら「1年が入ってこねーと後輩がいなくなるじゃねーか」という焦りを抱いていたように思うが、
よく考えたらあまり先輩への態度とは思えぬほどフランクな2人だったから関係なかった。


特に2年の新谷はよく「晩酌先輩、シュートが全然なってないっすよ」などとズケズケと1学年上の私をディスったりしていた。
剣道部だが、練習前の遊びのバスケの方が一所懸命だったのはあまり感心できることではなかったが…。


この高3の春より、剣道部の顧問が変わった。今までは素人顧問だったのが、今度はバリバリの6段。インターハイ優勝経験のある本格派だ。いやだー。
30代半ばの顧問はやはり、厳しかった。


キャプテンの修造はのちに、顧問の突きをくらい壁の角に頭部を強く打ち付け出血、救急搬送されるハメになる。無事だった。頭を数針縫っただけだった(無事か?)

 

はっきり言って、新入部員が来るかどうかへの興味がなくなるくらい、練習が厳しかった。1年が入ってくるかどうかなどどうでもいいのだ。

 

しかし、1年は2名入ってきた。鈴木と木本。どちらも剣道経験者だという。
早速二人は防具をつけて私たちの練習に加わった。有望株ではない1年がいきなり防具をつけて先輩と剣を直接交えるなど、大所帯の強豪校ではないことだろう。
新入部員がいきなり活躍できるのは、少人数の部活あるあるだ。

 

剣道は掛け声を出す。いや、皆さんご存じだとは思う。しかし、その掛け声が十人十色だということはあまり知られていない。


オーソドックスな掛け声は「やーっ!」だ。
次に一般的なのが裏声の「やーっ!」。高校生になると、途端に裏声を使いたがる奴が増える。「通」っぽいからだ。これは剣道経験者にしか分からない感覚だろう。


あとは、個性に合わせて千差万別七変化だ。

「うおーい」

「いよぉーっ!」

などオリジナリティあふれる発生のほかに


「わーっ!」

「でいっ!」

などの発音分かる派や、

 

「でーす!」

などの革マル派

 

裏声の「ふぇーーーーす!!」

というファイナルフラッシュが炸裂する場合もある。

 

そんな中、練習している部員の中でひときわ異彩をはなつ掛け声を発する者が一名いた。
1年の木本だった。


高校1年にしては野太い声、というか、男前の大人の声だった。首から上は男前ではなかったが(お前が言うな)…。
木本はオーソドックスな「やーっ」派だった。面をつけると顔面が覆い隠されるため、その掛け声を発する木本は男前そのものだった。

 

しかし、私は何か心に引っかかるものを感じていた。
何だっけ?

クソ厳しい練習の最中だったが、思い出してしまった!

そう。

ガロードだ!
ガンダムXガロード・ランの声だ!!

木本の声は高木渉さんの声だったのだ!!

 

その日の練習終了後、部員を集めて木本の声について話し合った(くだらね…)。
私は
「木本の声はガロード・ランの声だ。だから、木本はガロード・ランだ。
さらに、ガロードの声は声優の高木渉さんがあてている。

したがって、木本は高木さんだ。高木さんは年上だ。
だから、木本は年上となる(?)。

これから木本は木本ではなく、木本『兄さんだ』!!!」

 

こう宣言した。

部員たちは納得した(アホ)。

 

それ以来、私たちは木本のことを木本兄さんと呼び始めた。不思議なもので、「兄さん」づけで呼んでいると、本当に年上に見えてくる(老けてたから…)。
「木本兄さん、あれ取って」「はい」 
「木本兄さん、『ティファ!』って言ってー」「・・・(無言。絶対に『ティファ』って言わなかった)」


などと、"兄さん呼び"と"相手に対する敬意のアンバランスさ"の残る会話が、我々3年の引退まで続いた。新谷たち2年がその後、木本兄さん呼びを引き継いだかは不明だ。
願わくば続いていたことと思いたい。

 

もう一人の一年、鈴木はと言えば、
キューティーハニーの全身人形(お菓子のおまけ)の頭部を取り外し、
キューティーハニーの小脇に抱えさせ(バイクのヘルメットみたいに)一人で爆笑して、こちらにその笑いを押し付けてきたりした。

 

いくら高校1年とは言え、もう少々高度な笑いを提供していただきたい。その他、話の内容や剣道の質がおおむね大雑把なイメージがあり、
私は鈴木を「アバウトな鈴木」と命名した。この呼び名も我々の引退まで続いた(続いたんかい)。
この呼び名はすぐに終焉を迎えたことだろう。言いづらいだろうから。


あれから25年。あの時の後輩たちは今、何をしていることやら。
正直鈴木には全く会いたいと思わないが(アバウトだから)、木本兄さんには会いたいと思っている。
木本兄さんよ、これを見ていたら連絡をくれ!!
俺、木本兄さんの下の名前も分かんねーけど!


実は結構恨まれていたりして…。
人に安易にあだ名をつけるのはやめましょう。

おしまい。 

 

 

 

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会社員生活を快適にする考え方

仕事上の悩みで「成果をなかなか上げられない」は非常に多いことと思う。

 

大教室を束ねる塾の教室長として(自分も含め)様々な人材を見てきて一つ思うのは、
勤続5年以上経過しているにも関わらず、仕事で一定の成果を上げられていない人は、今後も花開くことはない、ということだ。

 

のっけから夢も希望もない話になってしまうが、これは真実だ。


もちろん、例外もある。どんなことにも最大3%は誤差が生じる。だから、うだつの上がらないリーマンが100人いたら、そのうちの3人は遅咲きで成果を上げ続ける人財に変化する可能性はある。


しかし、奇跡的な確率にすがるよりも、自分は特別ではないと認識し、その上で、いかに会社員生活を快適に過ごすかに腐心したほうが建設的だ。


一般的に、成果を上げられない人財には一つの特徴がある。
それは、20代の頃の勉強と行動が不足している。一言で言えば努力不足だ。20代の頃に、遊びや飲み会、恋愛に傾いた人々は総じて30代以降に仕事で成果を残すことができない。


しかし、その逆はあまり語られることはない。つまり、20代の頃に死ぬほど努力してきた人々は、30代で飛躍的な成長を遂げる傾向にある。中には20代からそのまま成果を上げ続ける人もいる。

 

そして、これが一番残酷な真実なのだが、
20代での努力の差は、なぜか一生埋まることはない
のだ。

 

考えてみれば当然。20代ですでに努力にシフトできる人は、その後の人生も努力を継続することができるからだ。
40代になって「勉強やーめよ」とはならない。だから両者の差は縮まらない。


私たちが近年目にしたドラマチックな遅咲きは漫才師「錦鯉」のお二人だろう。
50代と40代中盤のコンビ。特に私たち中年以上の男性はみな、このお二人の人生逆転劇に心を打たれた。
しかしこれも例外中の例外に過ぎない。このお二人のような逆転を再現することは不可能に近い。


とすれば、現在うだつの上がらないサラリーマンはどうすればいいのか?
あなたが20代であればすぐさま努力を重ねるべきだ。それだけでいい。
しかし、30代以上の方々にとっては努力は当たり前の事であり、しかももはやそれだけでは報われないという認識が必要だ。

 

だから、私は30代以上の方々に提唱したい。

努力にプラスして、

会社で過ごしやすいように環境を整えること

だ。

 

具体的には
・余計な仕事を押し付けられるの防止
・数値未達成でも叱責されない

の二つだ。この二つが実現すればあなたの会社員生活は快適なものとなるだろう。

ではどうするか?

 

上司から余計な仕事を押し付けられたら

4日後でいいですか?

を貫くことだ。
ポイントは、本気で貫くことだ。そこにしかポイントはない。
だから、そのポイントさえ押さえておけば、4日後であろうが10日後であろうが一向にかまわない。
納期を尋常ではない遅さに設定すればOKだ。

 

が、そうすると上司からは「今日中にやれ」と返してくるだろう。
それでも!「自分の抱えている仕事量からすると4日後が限度ですね…」と連発しよう。
愚直に前に出て接近戦を挑む幕の内一歩のように!


そして、しつこく上司が叱責してきたら、「では、私の抱えている仕事をどう処理すればよいか、具体的方法を伝授いただけないでしょうか?」
と言ってみよう。

大体がここまでくれば「4日後でいいよ…」もしくは「他のヤツに頼むからもういい」となる。

要するに、「あ、こいつは最低限のこと以外、言ったことをやらないヤツなんだな」と上司に思わせるのだ。

なんなら、ちょっと「ヤバい奴」の雰囲気を漂わせた方がいい。あなたに面倒ごとを押し付けてくる奴をほぼ粉砕できる。


そして、面倒ごとを押し付けることのできない人間には、数値目標(という名のノルマ)の押し付けもライトになる。
アイツには無理強いしても見込み無いだろ…。という認識だ。だからしつこくノルマ達成を迫られることも少なくなる。

これで快適だ。


だが、こういったツッコミもあるだろう。

 

会社のお荷物になり、クビになるのでは?

 

心配ご無用。世の会社は、貴方が管理職でない限りは「仕事ができない」という理由ではクビにはできない。
法律は労働者の保護をしっかりしているのだ!
ただ、仕事を拒否する(仕事などやりたくありませんなど)姿勢は法律に抵触する危険があるのでおススメ出来ないが…。

 

「4日後でいいですか」を連発すれば、おそらく、職場では浮いた存在になるだろう。しかし!面倒ごとを押し付けられず、ノルマ達成の叱責を受けなくなったあなたの業績は確実に上向く
だって、仕事量が今までの数分の一に減少し、本業に集中することができるからだ!

 

仕事できない奴あるあるだが、「ノルマすら達成できないなら、他の部分で会社に貢献しろ。雑用とか。」という認識を上司をはじめ周囲から持たれる。
すると本業に割く時間を取れない→仕事で成果を出せない、の負のループとなる。

負のループを断ち切ることが最も重要だ。

 

はっきり言って、勤続5年以上経過してなお、一定の成果を上げれらない人は、今後も同じ状態が続く、社内での立ち位置も低いままだろう。
そう。どっちにしろ社内評価はサイアクなのだ。
だとしたら!せめて社内での過ごし方は快適にしようではないか!

今回言いたかったのはこれである。


ぜひ参考になさっていただきたい。

会社員生活をしっかり攻略し、快適な人生を歩んでいこう。

 

 

 

 

 

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方 単行本(ソフトカバー) – 2016/11/26

そのフォロワー数はなんのために??

ぱんちゃん璃那選手が逮捕された。

オークションサイトで有名人の偽造サインを販売して金銭を詐取した疑いだそうだ。

だまし取った金額は9万円。

 

彼女のSNSフォロワー数を見れば10万円やそこらの金に困るようには感じない。

しかし、

彼女のSNSの中身を見ると、なるほど。金に困っても不思議ではない様子が垣間見える。

 

今、論じても意味がないかもしれないが、

あえて今、なぜ彼女が詐欺罪という犯罪に手を染めてしまうこととなったのか?

考えていきたい。

 

 

ぱんちゃん璃那選手のSNSフォロワー数(2022年12月6日現在)は

Twitter→73,000人

・インスタグラム→11万2000人

YouTube→15.9万人

 

と、総計すると34万人を超える。

 

これだけのフォロワーがいれば、現代の世では食いっぱぐれることはない。

いくらでも収益を生み出すことができる。

 

フォロワー数と収入がどうつながるのか?

世間一般にはあまり知られていない。

 

例えばYouTubeは非常に分かりやすい。

チャンネル登録者が1,000人以上かつ総再生時間が4,000時間以上のアカウントには、1再生につき0.1~0.3円ほどの収益が入る(超有力アカウントはおそらく0.5円以上いくのではないか?)。

しかし、SNSで収益を上げると考えたときに、YouTubeの再生数は正直「おまけ」程度のものだ。

 

仮に1動画100万再生いったとて、多くのユーチューバーは10~20万円ほどの収益にしかならない。

しかもそこから、動画編集担当者や、作家を導入しているのならその作家に、インセンティブを支払う必要がある。

 

さらに、動画撮影にかかったその他費用を総合すると、上記のように仮に100万再生いったとて、せいぜい10万円単位の収益にしかならない。

まあ、それも毎日量産できるならまだしも、多くの有名人YouTubeアカウントは、1動画の再生数はいっても数十万回、それをチリポりと生み出す程度。

 

 

だから、賢いインフルエンサーは、YouTubeを自社商品や商品紹介サイトへの窓口として、もしくは自身のブランド力強化のために用いる。

例え再生数が数万とか、数千とかでも、アクティブな層が視聴していればOK。

 

 

極端に稼ぐインフルエンサーは、必ず自社商品を抱えている。

そしてサブで商品紹介、いわゆる「案件」というやつだ。

 

例えば、格闘家ユーチューバーの草分け、朝倉未来選手は自社アパレルブランドを設立している。YouTubeチャンネルの何倍、何十倍もの収益を生み出しているだろう。

(弟の海選手も独自のアパレルブランドを保持している)

 

要は、YouTubeも、Twitterも、インスタグラムも、

最終的には自社ブランドや商品紹介による収益を目的に運用されている。

 

これはなにも有名インフルエンサーに限った話ではない。

例えばTwitter個人でフォロワー数5,000人程度のアカウントでも、

きちんと自社サイトと商品を用意して販売益を上げている例はたくさんある。

(商品は『製品』に限らずいわゆる『情報商材等』も含む。)

 

ちなみに、インスタグラムでは、フォロワー数が1万人を超えない限りは本文中での外部直リンができないようで、9999人以下のフォロワー数ではあまり運用価値がないらしい。厳しい世界だ。

 

 

 

 

そんなこんなで、総フォロワー数30万人を超えているぱんちゃん璃那選手が、たった10万円程度の金に困ることがあるのか?と不思議で不思議を洗うほど解せない。

 

…と思い、ぱんちゃん選手のSNSを一通り眺めてみた。

 

Twitterは(彼女にしては)精力的に更新しているようだった。しかし、案件のようなツイートは一切見つからなかった。数年単位ではあるのかもしれないが、直近ではなかった。

 

インスタは2022年4月より更新されておらず。

YouTubeは一定のペースで更新中。しかし、動画の内容は決して一般の興味を引くほどのものではないと感じる。更新頻度もそんなに高くない。

 

 

でも、普通にやれば十分に収益化できるアカウントばかり。

 

一般的に、若い女性で多数のフォロワーを抱えるアカウントには、収益化を全くしていないものも多い。

非常にもったいない限りだ。

SNS上では男女でいえば、女性の方が圧倒的にフォロワー数を獲得しやすい。

 

しかし、女性の方が「収益化」には無頓着な傾向にある。

 

ちなみにインスタは女性有利のSNSで、基本的に男性には勝ち目がない。

(主に)加工した画像という、ビジュアルがメインである特性によるものと感じる。

 

あれ?この元モデルの人、テレビに全く出ていないなー

なんて思っていた芸能人が、インスタではバリバリに案件こなしまくって稼いでいる。

そんなことはままある。テレビで見かけないのではなく、テレビに出る必要がないのだ。

 

 

ぱんちゃんも収益化には無頓着だったのだろうか?

それとも収益化したいが、その方法が分からなかっただけなのか?

 

それよりも、4月に練習中に損傷した前十字靭帯の影響で

試合ができなくなったこと。これがすべての原因になっているのか?

(精神的に消耗し、気力を失った?)

 

もしかすると、収入は十分だったがその分支出も多かった?

誰にも相談できる相手はいなかった?

 

考えれば考えるほど謎だ。

 

 

ぱんちゃん璃那選手は、国内トップの実力を誇るキックボクサーだ。

そしてなにより(なによりって言ってしまうのが男性の性…)容姿端麗だ。

 

プロポーションも抜群と来ている。

 

通常の人間には持ちえないものをいくつも抱えている。

もちろん、努力のたまものである部分は大きいと思うが、それでも誰でもがたどり着ける領域ではない。

 

だからこそ多くのフォロワーが集まったのではないか?

そのフォロワーたちの前でよくぞ犯罪に手を染めることができたものだ。

 

フォロワー数は単なる数字だとでも言うのだろうか?

 

 

私は言いたい。

 

そのフォロワー数が欲しいです!

 

 

本日はここまでといたします。

 

 

ぱんちゃん璃奈1st写真集『虹色ぱんちゃん』 単行本(ソフトカバー) – 2022/6/10

【新築】ああしときゃよかったな

家を新築し、早4年。

おおむね満足でしたが、いくばくかの不満はありました。

今回は家を建てる時に

「ああしておけばよかったなー」をまとめました。

参考にご覧ください。

 

 

目次

 

 

■コンセントの数

住宅新築に際して様々なサイトを覗いてみると、コンセントの数に言及していることが多いです。

私も家を新築するにあたり、この知識をもとに多めにコンセントの配置を考えていました。

 

しかし、いざコンセントの数を増やそうとすると、住宅販売会社のスタッフさん(工務部)から

「そんなにコンセントいらないっすよ」

と押し切られ、結局想定の半分程度の数のコンセント数で結局は家が完成しました。

 

住み始めて感じたのは、やはりコンセントの数が足りない!でした。

いわんこっちゃない。

スタッフさんの圧力に屈せず、押し通せばよかった…。

 

 

なぜそんなにもコンセントの数を増やさせたくなかったのだろうか?

私は事後にそのことを推測してみました(時すでにお寿司ですが…)。

 

おそらくは「コンセントの数を増やす」という行為が割に合わないからではないかと考えます。

 

コンセント、一般的な二個口コンセントを一つ増やすのに当時、2,000円かかりました。

住宅自体が1千万2千万の価格に対し、仮に百個追加しようともその費用は二十万円程度です。

 

しかし、コンセントを実際に設置する側、いわゆる下請け業者の人にとっては全くうまみのない商品なのではないでしょうか?

コンセント用の穴をあける大工さんか、はたまた実際にコンセントを取り付ける電装屋さんなのか、もしくは壁紙にわざわざコンセント用の切り抜きを用意しなければならない内装屋さんか、

いずれか、もしくは複数(全部?)の業者さんがメンドクサがる。

それがコンセントの増設なのではないか?

 

下請け業者の人々とはうまくやっていかなければならない。

そういった住宅販売会社のスタッフの思惑が、私の「コンセントの数を増設したい」という希望を封殺したのではないか?

今ではそう考えています。

 

 

もしもこれから新築を考えている場合は、遠慮せずにガンガンにコンセントの数を増やした方がよいと思います。

結局使わなかったな…。となっても全くかまいません。

過剰なくらいコンセントを家中にちりばめた方がよいでしょう。

 

例えば、テレビ回り。

現在我が家にはテレビの後ろに6個のコンセントがありますが、足りません。

 

・テレビ

・録画用ハードディスク

・DVDプレーヤー

・Firestick

 

この4つは必須です。しかし

 

・ミニファミコン

・プレステ2

ミニスーパーファミコン

 

と新たに三つの機器を満足につけることができなくなっています。

さらに、

ここから臨時で暖房器具を可動させたい、となればさらにコンセントは必要です。

 

たった一個、コンセントが足りないとかなり不便になります。

それに対しコンセントは二個口で2,000円の設置費用。

 

絶対にコンセントの数では妥協しない。

これが私の住宅新築の際の教訓となりました。

 

■玄関の土間の広さ

玄関の土間(コンクリート部。靴などを脱ぐ場所)は広ければ広い方がいいです。

 

我が家の玄関土間の広さは、据え付けの下駄箱を合わせても畳一畳ほど。

圧倒的に足りていません。

 

我が家は4人家族なので、家族の靴が少なくとも常に8個は玄関に並ぶこととなります。

さらに、つっかけや冬の時期の(雪寄せ用)長靴、休みの時用のスニーカーなど想定したよりも多くの靴が玄関に散らばります。

 

そんな時、土間が狭いと大変です。

また、

ちょっとしたときに、例えば子供の自転車を臨時で家の中に入れよう、

と思ったら畳半畳程度の土間スペースではどうにもなりません。

 

できることなら、3人家族以上だったら(3人家族以上になる可能性があるならば)玄関の土間は畳2畳分以上は用意することをおススメします。

 

このあたり、住宅会社の方では一切提案してきませんでした。

住んでみて初めて分かることでした。

要注意です。

 

 

■据え付け設備の検討

具体的には

 

・テレビを壁掛けにする

・壁に据え付け・折りたたみできる机

 

です。

 

テレビを壁掛けにしたり、壁に机を設置したりなどは素人にはできません。

要求しておけばよかったと思います。

 

 

■玄関前にコート掛け

 

特に冬の時期、雪国ではコートなどのアウターが、降ってくる雪にまみれます。

その雪まみれのアウターを家の中に持ち込むと家の中がびしょぬれになります。

 

だから、外から帰ったらアウターは玄関に設置する物干し的なコート掛けに掛ける。

これを実践した方がよいです。

 

玄関前にコートをかけることのできるスペースと設備。

これを据え付けにできればかなり便利になります。

 

 

■まとめ

 

今回紹介した、いわゆるイレギュラーな要望に対し、住宅会社の多くはあまり対応していません。

設計から間取りその他を一から決めているにもかかわらず、細かい要望のヒアリングや、実際に聞き入れるということを積極的にはやりたがりません。

ここは押さえておきたいポイントです。

 

私が施工をお願いした住宅販売会社は、価格明瞭な商品設計で、商品の値段が商品名になっているほどです。

もちろん、その基本価格から、建坪やオプションの付加により上がったりします。

 

しかし、

間取りや部屋数の変更には柔軟に対応しても、

「家をより便利にしようというアイディア」

に対しては非常に消極的な印象を私は持ちました。

 

 

もしかすると、そういうことをやりたいのであれば他の業者へ、

言い換えるならば「もっと価格のはる商品」の購入を検討しなければならないのかもしれません。

 

だから、

 

もしもこれからメーカーとの商談を進めるという場合は、

初っ端(多くはモデルハウス等の見学時)に

「収納とかコンセントの数とかテレビ壁掛けとかかなりこだわりたいんですけど規定料金内でそういったことできますか?」

などと確認することが大切かと思います。

 

そこで嫌な顔をする会社とは取引しない。

そういった割り切りが必要になってきます。

(営業マンは快諾しても、商談が進むにつれ技術スタッフがのちに難色を示すパターンが多いようですが押し通しましょう)

 

 

家を建てる前には必ず徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のことを読むのをおススメします。

建てる前にこの本に出会っておけばなーと後悔しきりなほど有益情報で満載です。

 

満足する家を建てられるのは3軒目からだ、などと半ば冗談で言われますが本当にその通りだと思います。

しかしこの記事と上記ご紹介の本を読めば、かなり満足な家に近づくと思います。

 

これから家を建てる皆さんが100%満足できますように。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

「子どもの声がうるさいから公園が廃止…それでいいの?」記事を読んで

信濃毎日新聞が報じた公園廃止の記事

 

 

www.shinmai.co.jp

 

 

要約すると、

 

・公園で遊ぶ子供たちの騒音その他の迷惑行為へのクレームが近隣住民から寄せられ続ける

・市側が様々な対策を講じるもクレームが収まらず

・やむなく公園自体を無くす(廃止)ことを決定

 

というものだ。

 

私が真っ先に感じたのは、

 

 

役所の勤め人っていうのはこんなもんだよな

 

 

ということだ。

 

 

 

数十年前なら、他に遊ぶ場所がたくさんあった。

しかし現代は違う。子供が思いっきり走り回り、時には野球すらもできるような、広く安全な土地は希少だ。

 

それを廃止するとはどう考えてもおかしい。

 

子供の声がゴジラ並みの音量だとでも?野球でホームランが出過ぎて近隣の住宅が壊滅したとでも?

そんなことはないだろう。

 

 

ただただクレーマーに屈した。

それだけのことだ。

 

圧倒的なしつこさと異常さを持つクレーマーへの耐性は

役所の勤め人というぬるま湯につかり切った者たちには到底ないだろう。

 

根底にあるのは「なんで俺がこんなに苦労しなければならないんだ…運が悪すぎる…」

という思いだろう。

 

公務員は無責任である、というよりは

前例踏襲絶対主義

である。

 

前例にないことは悪

 

そういった価値観なのだ。

だから、クレーマーに真正面から向き合い、真摯に対応し、毅然とした姿勢で闘う。

こんなことを実行した職員など過去には皆無なのだ。

 

 

だから自分も戦わない。

 

 

この公園廃止問題を検索して調べてみると、さらに詳しいことが書いてあった。

 

・ある一人の住民が執拗にクレームを入れていること

・保護者の迎えの車がひっきりなしにあること

 

だ。

車の問題は、対処の工夫により解決できるだろう。

しかし、役所の職員程度の使命感では無理だろう。

民間に委託したらどうか?

 

そして

 

とりわけ、公園廃止の直接的要因となったのは

「ある一人の住民による執拗なクレーム」

のようだ。

 

長野市議会議員小泉一真さんが詳細を複数ツイートされている。

 

 

 

 

私がネットで調べてたどり着いた「公園廃止までの道のり」は以下の通り。

 

①確かに公園は子供の声でうるさい

②公園開設(2004年)初期はボール遊びも許可されていた

③クレームを受け、段階的に公園利用方法の規制が入る

④しかし、一人のクレーマーは収まらず、ボール遊びをしている子供の手を無許可で引っ張り、公園の注意書き看板の前に立たせて注意した(有形の武力行使じゃないの?)

 

 

これを受けて市側は、(キ〇ガイ)クレーマーが他者からの攻撃を受けぬよう、公園を廃止する

という 廬山昇龍覇-ろざんしょうりゅうはー をぶちかましたのだ。

 

 

ひとりの(キ〇ガイ)クレーマーと大多数の子供たち。

守るべきものはどっちか??

こう問われなければ市側は分からないのだろうか?

 

 

一方、このキ〇ガイから子供たちを守るために公園を廃止する、という考え方もあるだろう。

そこまで危険な人物であれば国家権力が発動する事案なのではないか?

 

とにかく、役所の人間の事なかれ主義により、子供たちの憩いの場は消滅するのである。

普段クソみたいな情報しか流さないテレビよ!こういう問題こそ真っ先に報道すべきなのではないのか?

だから誰も見なくなるんだよ!

 

 

さて、

 

市側の人間に望むことがある。まあ、実現不可能ではあろうが。

 

今回の問題、私が担当課長(どっかの課長が今回の決定をしたんだって。)だったならどうするか?

答えは一つだ。

キチガイ真正面から正々堂々と向き合うことだ。

 

 

なにもキティを攻撃しようというものではない。

 

まずは公園は絶対に必要だ。

子供冷遇の数十年の結果が、現在から近い将来の日本滅亡危機(っていうか絶対に滅びる)を招いている。

 

多くの人間(日本は高齢化国なので若者よりも年寄りが多い)にとって、子供の教育などには興味がない。実利がない。

今日生まれた子供が成人するころには、現在60~80代の多くは死滅している。

要するにこれからの日本がどうなろうが知ったこっちゃないのだ。

 

そう思うのはしょうがない。自分だって普通に生きていたら20年後にはそうなるだろう。

 

 

今回のキティもその部類に間違いなく入るだろう。

 

話を戻すと、私が市の職員だったなら、しかも課長という肩書があるのであれば

このキティに対し、心からの説得にかかる。

 

私はこの国を愛していること、子供たちは国の宝であること、この国が将来滅びる姿など絶対に見たくないこと。

そして子供たちに遊び場を通して様々な体験をして学びを得てもらいたい。

人との調和、創意工夫、近隣への配慮、親への感謝など、生きる上で大切なものを獲得してもらいたい。

そのためには公園が必須だ。

私たちの子供時代とは異なり、子供たちが自由に駆け回れる場所はない。

せめて、ここが子供たちにとって全力で遊ぶことのできる場所にしたい。

子供たちの思い出が残るふるさとを残したい。

だから

子供たちの未来のために協力してもらえないだろうか?

この通りだ(頭を下げる)。

 

 

 

…とまあ、例を挙げるとこんな感じのことも私はキティに言うだろう。

そして、頭を下げる。こんなことが役所の勤め人にできるだろうか?

 

おそらくはそんな発想すらないであろうし、思い浮かんだとしても「なんで俺が」であろう。

 

しかも、キティは一朝一夕ではどうにもならない。長期にわたり接触を続けることでやっと態度の軟化が望める可能性が出現する。

多くの場合は徒労に終わり、最終的には警察沙汰になるだろう。

でも、やるのだ。

 

だって、そのために公務員になったんだろう?

国の繁栄のために自らを奉仕する。それが公務員のあるべき姿ではないのか?

 

自分に降りかかる火の粉を払いのけることが、公務員の使命ではないはずだ。

 

 

どこまでいっても公務員はしょせん、公務員か。

 

こういった印象を、この長野市のなんかの課長は、公務員全体に対して抱かせてしまった。

罪だと思う。この課長を育てた者たちも同罪だ。

 

 

国家にきちんと奉仕する。この姿勢をもう一度考え直してもらいたい。

ムリなのは百も承知だけど、数万人に一人は、心に刺さってくれるかもしれない。

 

市の職員の気持ちも分かる。

「毎日机で寝ていても一定の収入がほぼ死ぬまで保証される」

から公務員になったのだから。

だれも進んで困難に立ち向かい、よりよい社会を作り出そうとは思っていない。

そのためにあのややこしい公務員試験対策をし、受験して合格したのだ。

 

今更ややこしいことを俺にやらせるんじゃない!

 

そうだろう。

私だって公務員になっていたらそう思うだろう。

 

しかし、時はweb2.0時代。

国民全員が発信者になれるこの時代に、

正しくないものは遅かれ早かれ白日の下にさらされる。

 

こういう考え方は不適切かもしれないが

ネットにさらされないようなまっとうな考え方で仕事をしようではないか!

 

 

今回の記事についてはまだまだ世論が動くような気がする。

行く末を見守りたい。

 

家庭でおいしいチャーハンを作る方法

皆さんがもし、

 

「自分で作るチャーハンは美味しくないんだよね…」

 

と思われる方は、以下のコツを二つ、片方もしくはコンボで試してみてほしい

 

【チャーハンを美味しく作るコツ】

①油を現在の3倍の量にする

②調味料の量を1.5~2倍にする

 

これで、現時点でのあなたのチャーハンの味を凌駕することができる。

しかも、作り方は全く一緒でもだ。

 

信じられないかもしれないが、本当だ。

だまされたと思って試してみてほしい。

 

激ウマになる。

 

 

しかし

 

 

そう。

 

健康に悪くない???

 

 

そうですぅ。

 

 

美味しいチャーハンは健康に悪いのだ。

 

逆を言えば、健康に悪い油と調味料の分量でないと、私たちはチャーハンを美味しいと感じなくなっているのだ。

 

 

怖いことに

このコツ二つを実践して作るチャーハンは、うちの子供たちもよく食べる。

しかし、普通の(健康に配慮して調理した)チャーハンは残す残す…。

 

 

 

学生時代、私は町中華でアルバイトをしていた。

その町中華は繁華街にあったが、最近、惜しまれながらもマスターの高齢化により?閉店した。長く客に愛された店だった。

 

私はその店で厨房担当だった。

ラーメンを作ったり、ギョーザを焼いたりが担当業務だった。

 

同じ厨房ではマスターがフライパンを振るメニューを調理していた。

肉野菜炒めや麻婆豆腐、広東麵や焼きそば。めったに出ないが天津飯なども。

豪快に中華鍋を、メラゾーマ並みとも言えるあがり方の炎とともに振り回していた。

 

その中で、よく出た中華鍋メニューがチャーハンだった。

この店のチャーハンは人気で、これだけを食べに来る人も多い。

チャーハンだけで当時の値段で800円。ラーメン550円と比べると高額商品。

それでも人気だった。

 

しかし、

厨房でマスターのチャーハン調理状況を日々見つめる私の目は懐疑的だった。

だって、

特別な具材や調味料は一切入っていないんだもの。

 

具は卵、ネギのみ。調味料はなんと醤油と塩コショウのみ!

調味料はごく普通の業務用のものだ。伯方の塩とかではない。

 

そんなんで、どうして人気のチャーハンが出来上がるのか!!

不思議だった。

たまーにまかないで食べさせてもらった。

(要求すれば毎日でも食べられたのだろうが、私はそれよりも自分で作る素ラーメンが大好きだった。この店のノーマル醤油ラーメンを愛していた。ラーメンは油と塩分の権化だが…。)

確かにこのチャーハンは美味しい!!

 

どんな秘密があるのか…。

 

 

 

そんなこんなで町中華バイト時代から10年ほどが経ち、

一人暮らしを始めるにあたり、調理器具をそろえた。

長年のあこがれだった中華鍋をとうとう買った。

 

鉄製の本格的な奴だ。手入れをしないとガンガンに錆びるあの中華鍋が自分の手に!

 

早速オール強火でチャーハンを作ってみた。

フライパンで作るものとは段違いに美味しかった。感動した。

マスターの作る様子をいつも見ていた。その通りに作った。旨いはずだ。

 

それからはその中華鍋とはいつも一緒だった。寝る時も一緒だったしお風呂も一緒だった(精神的に)。

 

しかし時は経ち、現在の家に引っ越すにあたり、その中華鍋は廃棄した(IHコンロになったため)。

途端に私の作るチャーハンは激マズになった。

 

そうだ!中華鍋がないからだ!

私は思ったが、最近、果たしてそうだろうかと疑問に思う。

 

 

お店のチャーハンが美味しいのは、

業務用のガスコンロでメラゾーマ並みの火力にて中華鍋を振り回すためだ。

振り回し、炒める食材が宙を舞う時、メラゾーマとわずかに直接触れ合う。これが食材の香ばしさを生む。

そういう論理らしい。

 

 

しかし、私が中華鍋でチャーハンを作ったときはいってもメラミ程度。

火力のせいではないのではないか?

今はそう思う。

 

では、なぜ現在は激マズに??

 

それは

 

そう。

 

冒頭で述べたコツに戻るのだ。

私の場合は①の油の量(をメチャ多くする)だった。

 

 

思えば、中華鍋で調理をするときは必ず、慣らしで油を鍋全体にコーティングする必要がある。

これだけでもかなりの油の量だ。

コーティングのために大量にまいた油は当然、オイルポットに戻すが、

そこから再び各料理の分量、油を投入する。

 

一般家庭でフライパン調理をするとき、この中華鍋と同じ分量の油を投入すれば、下手したら揚げ物ができてしまう。薄切りハムくらいなら余裕で揚がる。

 

私たちはチャーハンを食っているのではない。

油を食っているのだ!

 

 

ある中華料理の大家が、テレビでこう言っていた。

「中華料理をうまくするためには油を多くすればいい。それでうまくなる。」

と身もふたもなかった。

 

どれだけ料理の技量が上がろうとも、油の量を制限されては勝ち目がないのだ。

 

 

 

 

年を取ったら油ものは控えよと言われるが、

この油とはなにか?

肉?魚?ごま油?

違う。控えなければならない油とは、サラダ油のことだ。

 

しかし、皮肉なことにこのサラダ油が多く使用されていればいるほど、私たちは美味しいと感じてしまう。

 

 

 

とあるYouTubeチャンネルで、「おいしいまかないの作り方」の動画があった。

飲食店経営者なのだろう。和風の店内で調理の様子を流していた。

その回は「美味しい野菜炒め」。

具材の切り方やら炒める際の火加減やら、家庭では鍋を振らんでもいい、というアドバイスやら盛沢山であったが、

いざ調理となったときの最初の油の量!!

「大匙1」とその出演者は言ったものの、あきらかに「しゃぶしゃぶでのちょっとしたさし水」程度はあった。

さらに!味付けの段階での塩とコショー。欲張りが振る打ち出の小づちとはこのような具合なのだろうと想像させてくれるほどふんだんに粉々をまき散らしている!!

 

そりゃあ、美味しくなりますよ。

私たち一般人は、その致死量ともいえる油と調味料の分量を避けながらも

美味しい料理の作り方を求めているんですよ!

言い方を変えれば、常に油と塩分量との戦いでもあるのですよ!

 

そういいたくなった。

 

でも

 

 

この出演者が特殊ということはない。

世の飲食店の料理人は皆こうである。

「皆こうである」は何も「悪い奴らめ」と言っているわけでは全くない。

 

悪気は全くないのだ。

 

ただ、

「飲食店側から見る美味しい料理の作り方」

と、

「健康的に美味しい料理を作る方法」

は別物だと思った方がいいだろう。

 

考え方は人それぞれだとは思うが、

長生きしたしたくば飲食店の「当たり前」を鵜呑みにしない方がいいのではないかと感じる。

 

 

子供に堂々と食べさせることのできるチャーハン。

私には作成不可能だと悟った。

というわけで

美味しいオムライスにシフトチェンジすることにした。

これからの世は柔軟な対応が求められる。

 

チャーハン死す。私の中のチャーハンよさらば!

 

以上です。

実家住まい 親とうまくいっていない人へ

つい12年前までは実家住まいだった私が断ずる

「実家住まいで親とうまくいっていない人へ」。

 

全くの独断と偏見ではあるが、おそらくは

「正しい」か「正しくない」でいえば間違いなく「正しい」ことを述べていく。

 

これを見て耳が痛い(見ているのになぜ耳が痛いのか禁止)、という方こそぜひこのアドバイスを心に留めてほしい。

 

では参ります。

 

 

■実家住まいで親とうまくいかない理由

いきなり結論を言う。

実家に住んでいて親との折り合いが悪い原因は、

 

いつも一緒にいるから

 

だ。

 

あなたがもしも一年に一度、数年に一度しか実家に帰ってこられないのなら

親は今と同じ態度であなたと接するだろうか?

そんなことは全くないだろう。

あなたの帰省を心から喜ぶはずだ。全力であなたをもてなすことだろう。

 

しかし、現実にあなたは毎日実家に住んでいる。毎日親と顔を合わせる。

そう。親からすれば、あなたと顔を合わせるのは日常なのだ。

なんなら、「いつまで親のスネをかじるつもりなのだろうか?」と不安にも似た疑問を抱えているのではないだろうか。

 

 

 

極論、実家住まいで親と折り合いが悪い人は、別居すれば問題は解決する。

 

この結論からは逃れることはできない。

この記事では直球を投げ続けるが、勇気ある方に読み続けてほしい。

勇気のない方はいつまでも親との関係悪化に苦しむがいい(スパルタ)。

 

 

■親に渡す家賃や生活費は妥当なのか?

実家住まいでまともに家賃その他生活費相当の金銭その他有価証券(国債とか?誰が持ってるんだ)を提供している人はいないだろう。

 

「いやいや、俺は家賃生活費をちゃんと親に渡している!」

という人が多いかもしれないが、

果たしてそれは本当に「相当額」なのだろうか?

 

あなたの実家の居室・風呂・トイレ・キッチン・車の駐車場代etc…。

それらを利用しているあなた!

近隣の物件と比べて適性価格だろうか?

私は断言しよう。

実家住まいで近隣の物件と相当、もしくはそれよりも高い額を親に提供している人は皆無であると!

 

大体が「こんくらいでいいでしょ」という額を渡しているに過ぎない。

渡しているならまだ良心的だ。

中には全くお金を渡していないものまでいる。

 

しかも、親は炊事洗濯をすべて、もしくは一部を担ってくれる。

 

実家に住んでいて、近隣相場の家賃そして生活費を支払い、かつ炊事洗濯は完全分離だという人は、あえてもう一度言おう、皆無だと!

 

■実家住まいの人の人生はあくまで「親の支配下

自分の人生は自分で切り開いてきた。

そう自負する実家住まラー(?)は思うだろう。

しかし、実はそうではない。

 

実家に住んでいると様々な制約が生まれる。

まずは外出時間だ。

 

私の体験談になるが、30歳を過ぎている状態で

朝帰りをすると親が心配する。

30歳の、しかも男性だ。なんの心配があるのか?

一人暮らしではありえないことだ。

 

以前に一度、同級生男性と朝まで飲んでいた帰り、

同級生男性の親御さんから私のケータイに電話がかかってきたことがある。

「うちの息子、どこにいるか分かる?」

 

ウソのような本当の話だ。

 

そう。

実家住まいとはこういうことなのだ。

 

子は、親から見れば何歳になろうが我が子。

実家に住んでいれば否応なくその恩恵にあずかることになる。もちろん皮肉だ。

 

 

ちなみに、「親のために同居している」と答える輩もたまにいるが

はたして親は本当にそれを望んでいるのだろうか?

逆に、それを親が望んでいるのであれば、そしてあなたが立派に大人だったら

いますぐ逃げ、離れなければならない状況だ。

あなたの人生はあなたのものだ。

親の役割は子供のあなたを育てるところまでだ。成人したあなたをコントロールする権利はない。

 

あなたもだ。親に依存するのは17歳までだ。現在、日本の成人は18歳。

あなたはあなたの責任で、あなたの生活力でもって、人生を切り開き、生き抜いていく必要がある。

親と同居するあなたは、すでに自身の人生を生きていない。親のための人生になりかけている。

今からでも遅くはない。自立せよ。

 

■異性と満足に交際できない

実家住まいで自由な恋愛は厳しいだろう。

中・高生でもあるまいに、いまどき交際相手の家を訪問する際に親にまで挨拶せにゃならんとな??

 

誰がそんな人物と交際を継続するというのか…?

 

皆さんが適齢期の若者だとする。

交際相手が実家住まいだ。

正直どう思うか?

 

相手が実家住まいで安心するのは

20代前半の容姿端麗な女性と交際している男性

くらいではないだろうか?

その他の場合、「え?実家に住んでるの…?」となる。

 

実家住まいだと恋愛の幅も激烈に狭まってしまう。

 

 

■すぐさま引っ越そう。今すぐだ。

あおるようで恐縮だが、

実家住まラーは今すぐ新居を見つけて引っ越しをしよう。

 

不動産屋に駆け込むのだ。

懇切丁寧に(売上対象として)接してくれるだろう。

 

え?お金がないって?

稼げ!

そもそも、一人暮らしができない程度の収入しかないということは

経済的自立ができていないのと同義だ。

まずは一人暮らししても生き抜いていくだけの収入を得ることを最優先に考えよう。

具体的には転職!これしかない。

 

一人暮らしができない程度の収入ということは、かなり低水準、というより正社員だとまずありえない給与体系だ。

もしも非正規雇用の人は正規雇用を死ぬほど目指そう。どうせ今でも死んだような人生なのだから、死んだつもりになって100社~1000社、応募してみよう。

1000社受けて一社も受からなかったら、私が責任を持とう。1000社受けて全落ちした奴は有史以来ゼロなので安心してほしい。

 

収入ができたらすぐに物件見つけて引っ越しだ。

 

引っ越しをして、自分の城ができたらあなたなら何をする?

自由だ。その自由を使って何をする?

遊び惚けるか?酒を飲み散らかすか?はたまたスキルアップを目指すべく勉強をするか?

 

自由の使い方で人間の質は磨かれもするし、錆びれもする。

 

自分の人生を生きるとはそういうことではないだろうか。

誰かの、親の制約の下で生きる。楽なようでいてその実、

「自由な中で自分が選択する経験」をすることができない。

 

自分の選択した行動の結果を自分で受け入れる

これが大人の権利と義務ではなかろうか?

 

実家住まいのままだと永遠に自分で選択することができない。

 

逆に、自分の稼いだ金で一人暮らしをするということは、

自分で行動を選択するよりほかはない。

 

ぜひ、自分を自立させていこう。