ボクシング漫画「はじめの一歩」の一場面。
主人公の先輩、鷹村守が相手のパンチをもらいダウン寸前まで追い詰められた際
鷹村が「睨み」で相手を怯ませ、ピンチを免れた場面があった。
師匠でセコンドについていた鴨川会長はその睨みを
「強者のみ有効なハイレベルな駆け引き」
と表現した。
もしもこの「睨み」を並みのボクサーが実行しても効果は発揮されない。
なぜなら、睨んだところで「なにもない」のが明白だからだ。
強者が「睨む」と相手は「いくらダメージを負っていると言っても相手は強者。どんな手札を持っているか分からない」
と警戒する。
要するに、睨みは強者の実力と背景(歴史)あってこそ有効な威嚇手段となるのだ。
さて
私が毎日しゃべり散らしている音声配信では、様々な番組が毎日アップされ続けている。
正直に言って、9割がタメにならない。よって、私は他の配信者の音声を聴取していない。
だが、たまに「タメになりそうなタイトルだな」と思い聞き始めると、
なんと冒頭から自分とその番組の自己紹介が始まる。
「私はこれこれこういう実績を出している人物です」
「この番組は日々の暮らしから役立つなんちゃらかんちゃら…」
「良かったらいいねやフォローをしてください」
と、大体が1分ほど、もしくはそれ以上の時間、本題に入らずいらぬ声を強制的に聞かせられる。
あまつさえ、その長大な自己紹介ののちに、「今日買い物に行ったらこんなことがありましてね…」
などと本日の小話まで頂戴してしまう事態になることもある。
いいから、さっさと本題をしゃべってほしい!!
余計な前置きはいらないの!!
確かに、著名で人気の音声配信者の多くは、上記のような宣伝や小話を放り込んでくる。
それでも人々は聞き続ける、なぜなら、結局役立ったり面白いことを言うということが分かっているからだ。
もしくは純粋にその人のファンか(アイドルとか)。
しかも、著名で人気の音声配信者はおおむね「話すこと」が上手だ。
私が聴き続けているキングコング西野さんの音声チャンネル。
さすがに一流のプロのしゃべりだ。
私たちチンパンジ、一般人が逆立ちしてもこの話芸にかなうことはない。
しかも、放送内容が実は話芸のすごさよりもレベルが高い。
そりゃ、どんなに番組中に宣伝を入れられても聞き続けてしまうというものだ。
なんなら、冒頭の小話をメインに聞きたい人もいるだろう。
そう。
こういう人が「強者」なのだ。
一方、世の多くの音声配信者はチンパ一般人だ。
強者弱者の二元論で言えば、確実に弱者だ。
弱者は強者の真似事をしても意味がない。
(どころか、そのホスピタリティの低さを疑われる原因にもなりうる。プラマイゼロどころかマイナスだ。)
前述のように、番組冒頭に自身の宣伝や拙い事故、いや自己満足感あふれる小話を披露したい気持ちも分かる。
いっぱしの有名人になったかの気分にもなれる。より多くの人々に聞いてほしいという欲も心より理解できる。
しかし、
多くの新規聴取者がどこの誰かも分からない馬の骨配信者のことを、
「この配信者は役立ったり面白いことを言ってくれるのだろうか」
という審査の目で見られていることを意識できているのだろうか??
私は、巷で音声配信が普及しない根本的原因は、全体的な「その質の低さ」にあると感じる。
私たちはもっと、新規聴取者に対して優しい配信を心掛けるべきだと思う。
だから、冒頭での自己紹介や小話は不要なのだ。
この放送が面白いな、と感じたらリスナーは勝手にその配信者の事を検索してくれる。
配信者自らアピールして「そうか、こういう人なんだ!フォローしよ」とはならない。
世の音声配信者はこれらの事に気を付けるといいなと思いました(小学生 )。
ところで
はてなブログには様々な人たちが日々ブログを執筆し、アップしている。
その中で気になることがあり、それは
改行がまったくない記事が散見される
ということだ。
確かに、面白くためになる内容を執筆できる人の記事は無改行だとしてもなんとか読む気にもなる。
しかし、その「ガワ」だけマネして無改行にしても意味がないのだ。
どころか、私はその「ガワのマネ」をするような人に嫌悪感に近いものを覚える(あくまで個人の感想です)。
なぜなら、自身の人間としての魅力やお手軽に「強者のマネ」をして努力・実践なしの階段飛ばしで評価を得ようという浅はかな思考を手に取るように感じてしまうからだ。そうではなく、ブログならその内容で読ませるのが先ではないか?無改行という少数派のレイアウトを採用する革新派然とすることがスマートだという誤認のもとにブログを執筆していて何か実になるものはあるのであろうか?無改行は本記事内容が圧倒的に面白く、示唆に富む誰もが納得する高い質を誇るからこそ見栄えする、強者が用いる高度な手段だ。無改行は基本的には読む相手を冒涜する行為だと私は思う。しかし、その冒涜が記事内容の充実により解消されるのであれば、それは一種のアトラクションにも似た効果を演出するのだとも感ずる。
と、いうわけで、私もまっとうにまずは「内容で」評価をされるように発信活動を継続したいと思いました(小学生)。