晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

解説者の任務とは

先日のサッカーW杯 ブラジル―クロアチア戦をリアルタイム視聴した。

 

地上波での観戦となった。
眠い目をこすりながら緊迫した試合展開に心躍らせた。

 

後半、試合が動き始めたころからか、あることが気になり始めた。

それは、解説の「元日本代表」の人物の発言内容だ。


どうも、節々に違和感を覚える。

その違和感の正体は「解説なのに実況している」だった。

 

実況アナウンサーが「ブラジルがボールを小刻みに動かしてきましたね」
と解説者にふると、
解説者は「後半なのに相手選手は疲れている様子も見せないでよく動いています。」
などと「んなこと見りゃ分かるわい」ということばかりおっしゃる。

 

最終版のPK戦の際に実況アナが「どう蹴るでしょう?」と問うと、
やっと「分かりません。」
という言葉が出た。

 

そうなのだ。


彼には、実際に試合をしている選手たちの心情など最初から分かるはずがなかったのだ。
だから、実況まがいの発言ばかりしてしまっていたのだ。
実況するなら、しゃべりのプロであるアナウンサーに任せた方がよい。

 

解説者の彼には、実況アナから問われることすべて、「W杯4強を争う試合に出たことすらない自分には分かりえない」という意識が働いていたように思う。

 

解説者を擁護するならば、彼はおそらくは責任感の強いタイプの性格なのだと思う。
だから、解説者を任せられながら「分からない」と発言することは「責任を放棄する」ということにつながると考えたのではないか。


なので、深層に踏み込めず、かといって何も言わないわけにはいかない、したがって表面に見えることを言ってしまった。
そういった流れだったのだろうと想像する。

 

しかし

放送を見ている側からすると、「んなこと見りゃ分かる」ということをこうも連発されるとたまったものではない。
途中からは解説者除いてくれとすら思ったほどだ。
解説者に能力がない、と誤解されるだけではなく、解説者が憎い、とすら思われかねない言動だったように私は感じる。

 

分からなければ分からない。それでいいのではないか?
はったりが通用するような断片的な分量であればいいかもしれない。
しかし、放送全編通じて「分からん」状態が続くのであれば、

もっと早い段階で「I can't」宣言をした方がよかったのではないか?

 

そして、次に解説に臨むその時まで、自分の知識量を増やすべく猛勉強だ。
各国の様々な試合をアーカイブにて観戦しなおすことでそれぞれの国の傾向がつかめてくると思う。


その傾向をもとに、一番可能性の高い行動選択肢を言葉に表す。
その積み重ねが信頼を生んでいくのではないか?

 

自慢ではないが、
私は大相撲の取組について、大部分の勝敗を言い当てることができる。

ただし条件があり「発気よい、残った!」から1~2秒経過後に限る。
力士両名の「形」が決まってからの予想精度の高さには定評がある私だ(なんの定評なのだろう…?)。


それはこれまでの人生で見てきた膨大な数の取組によるデータからはじき出される、ある意味ID解説だ。

 

私にはプロの一流力士の心情など知る由もない。
しかし、取組開始後に力士の形が決まった後なら、ある程度の勝敗の予想は可能だ。
ここには力士自身の立場やプレッシャー思いなど介入する余地がない。

 

解説者はまず、この膨大なデータの蓄積ありきの仕事なのではないかと思う。
そこに「思い」が乗っかることで他者とのすみ分けが生まれる。

そう。
まずはデータ。勉強なのだ。


解説氏には勉強のすゝめを促したい。

 

以上、ド素人の意見でした。


さて、どこが優勝するかな?