晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

おしゃれ石鹸買ったのと、リストマーケティングに引っかからん。

先日イオンモールにて長女と徘徊していたところ、おしゃれ石鹸屋(?)の店先に置いてある石鹸に長女が反応した。

 

固めのゼリー状の石鹸で、実際に触ることも可能な展示品だった。

 

すると女性店員がやってきて長女に「手を洗ってみる?」と勧めてきた。

長女はやってみる、と言い実際にその石鹸を手にこすりつけ、水を含ませ横にある銀色のボールで手洗いを体験した。これって石鹸だったのか、とその時初めて私は気づいた。ヤバ。

 

大きめのボールに張られた水は、体験ごとに替える用だ。結構めんどくさそうだな。慣れればどうってことないのかな?

などと考えながら、私は「こりゃ買わねばならぬ流れだな…」などと困惑していた。

 

ただ、長女が気に入っていることと、実際にその石鹸の香りがよいこと、そして1500円ほどとそこまで高額でもないことも相まって、まあ買ってもいいかな、と思った。

 

 

女性店員は深追いせず、「中にもいろいろあるのでゆっくり見てください。」と私たちに伝え、去っていった。

 

で、ほどなくして次女も乱入し、別のゼリー状石鹸を触りながら「これほしい」と要求。むむぅ…、3,000円の出費か…などと算用していると長女が店の奥に行きはじめ、別の商品を手に取りこれがいいといい始めたが値札を見ると6000円の数値が!これは死んでしまうと長女に伝え、このゼリー状エリアから選択するように促した。

 

あーでもないこーでもないと迷い、二人の娘はそれぞれ1個ずつ選び、購入した。

 

 

今回の接客で感じたのは、長女が子供とはいえ、女性店員が長女に向かって手洗い体験を勧め、実行したことだ。

 

ここが勝因、つまり私が実際に購入したことの最大の理由だったといってもいい。

もしかすると学生アルバイトかもだが、営業スキルの学習をさせてもらった。大変有意義な時間であった(ちんたら選んでいる時間を除く)。

 

次女が店頭で「この石鹸、ばーちゃんちのトイレのにおい」との発言に私は間を置かずに「ばーちゃんちのトイレを高級にした感じだな!」とフォロー(?)を入れたスキルは評価していただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会計時にこんな応募券をもらった。

 

 

 

1,000円ごとに1枚もらえ、これをQRコードより応募すると1000名に商品券10,000円分が当たるというやつだ。

 

4枚コースだと100名に70,000円分が当たる。

 

 

さらに、子供のいる世帯に関しては、当選したらさらに追加で図書カードも当たるという。

 

 

脳死でQRコードを読み込み、応募しようとした。

最後の方に子らの詳細な情報を記入する画面となった。

 

ここではたと正気に返った。

 

 

よくよく見ると、このキャンペーンにはBenesseが関わっている。

あっぶねー!

このまま応募したら、またあの鬼のようなDMが届きまくるところであった。
DMは捨てたらいいじゃない、と思うかもしれないが、ここのDMはでかく分厚い。
それだけでゴミ袋を圧迫する。入れ方が悪ければ袋が破れる。

値下げしたとて、おいそれと追加できるほど浪費できるほど私の心は広くない。

 

 

要するに、これはBenesseのリストマーケティングの一環なのだ。

 

 

Claudeを使い、推論してもらったが、1件のリストを獲得するのに100円から200円とのこと。

 

かなり割のいいリスト獲得方法だと感じた。

 

 

Benesseはリストマーケティングの覇者なので、こういった地道な、しかし数千万円の費用をかけてのリスト獲得はお手の物だ。

 

私も脳死で応募しようとしたように、ほかにも多くの人々が自子の情報をBenesseに差し出すことだろう。

 

 

 

全国のイオンモールで、1,000円会計ごとに渡される応募券。

合計何万枚になるだろう。

 

Claudeの見立てでは当選確率は、高く見積もって0.7%ほど。

 

50万口の応募があれば、1件のリスト獲得費用は100円から200円となる。

 

 

要は、リスト獲得費用は安いと私は見る。

 

 

DMの送りつけは思った以上に打ち上げにつながる。

私も前職時代、困ったらDMはがきの送付をリスト客に送り付けていた。

このリストはイベントや過去に顧客だった人々なので、リピート率が極めて高い。

 

 

今回のキャンペーンも、応募に

QRコード読み込み→フォーム入力

という手間がかかる。この手間を惜しまずに応募するリテラシーのある客を相手にするということ。

 

Benesseの商品購入には当然、WEBでの申し込みが必要だ。

 

応募しない層は面倒くさがりか、少しの手間を惜しむ意識低い系か、私のような個人情報提供に拒否反応を示す層だろう。

 

 

 

というわけでまとめると、

 

石鹸、結構いいよ、ということと、Benesseへの個人情報提供はしねー、

ということである。

 

 

 

…今日は以上です。

この世を席巻したボンボンドロップシール

平成二年初頭。

 

私が小学四年生も終盤のころ、ウイッシュの祖父が消費税を導入したころ。

私はまだ、ビックリマンシールを集めていた。

 

 

天使と悪魔、という単純な構図ではなくなり

次代という新勢力?概念?も巻き込みストーリーは複雑化していった。

それに伴い、シールそのもののデザイン、とりわけプリズムに彩られる「ヘッド」のレアさへのありがたみが薄れ、プリズムや光沢感のインフレが起こっていた。

 

もはやキャラクターへの愛着も無くなり、世の子供たちは急速にビックリマンから離れていった。

 

 

一個三十円。

店舗では40個入りの大箱が一つの単位となりパッケージングされる。

それを丸ごと買うと1200円。しかし、流行全盛期の世の子供たちの夢ともいえる「箱買い」を、小学四年生終盤の私は実現してしまった。

 

もはや、ビックリマンチョコの購入に伴い他の商品を強制的に購入させる「抱き合わせ販売」や、純粋に商品価格を吊り上げる行為が横行していた当時の安易な発想も鳴りを潜め、

普っ通に投げ売りされていたのがそのころだった。

 

そんなある日、横手市に住んでいた私たちのもとに、祖父母が訪ねてきた。

手土産に私ら兄弟(絶対妹は興味ないと思うのだが…)へビックリマンチョコを箱買いしてきてくれたのだ。

 

それ以来、一日一個ずつという制限を親との合意のもと付し、開封し、ウエハースチョコを食らい、シールを収集していった。

 

 

ビックリマン終盤のシールについて、あまり記憶にない。

存在がインフレ化したのちのシールは、ありがたみを感じないということなのだと理解している。

 

しかし、それでもビックリマンチョコが家に大量にストックされている状況は心地よかった。満足だった。今も記憶にないシールを集め続けていた。むしろ、開封の儀そのものを楽しんでいたといっても過言ではない。

 

 

 

その後、ドラゴンボールカードダスに小5からハマり、ビックリマンシールへの興味はなくなった。

 

 

 

 

今でも、スーパーなどでビックリマンチョコの復刻版を見かけると、つい買ってしまう。

現在、一個150円。五倍の価格に跳ね上がっている。モノの値段が上がっているのに収入が増えないスタグフレーションの時代に今、我々は生きているのだ!!まあそれはどうでもいいか。

 

 

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ボンボンドロップシールをはじめ、様々なシールを収集し、他者との交換をしながらシール帳に蓄積させていく一連の行為が、娘たちのブームとなったのが、いつぐらいだろう?一年は経っていない。せいぜいここ数か月の話だ。

 

次女の誕生日プレゼントとしてこの夏、6000円強のシールたちを好きなだけ購入させた時から二、三か月。現在娘たちはシール収集をしていない。次女は若干、まだシールに興味を示しているが。

 

かように、女性の間でのブームは一過性の度合いが強い。
今思い出した。
去年のクリスマスにはラブブを欲していたはずだが現在はせっかく買ったラブブの人形どこにある?のレベルである。

 

 

 

一か月ほど前、近所のドラッグストアにてシールが安売りしており娘たちが喜ぶだろうと思い土産として買って帰ったが、特に長女は一切の興味を示さず、なんならいまだに目の前に未開封のまま転がっている。

 

 

 

あんなに好きだったすみっコぐらしも今はちいかわにとって代わられ、私はちいかわブームがいつ過ぎ去るかを予測しようとしている。

 

もう半年はもつか?すみっコぐらしも年単位でブーム維持したことを考えると、来年中はもつのではないか?

 

 

ドラゴンボールカードダスも終盤まで収集し続けた私からすれば、娘たちの流行の追い方の柔軟さに脱帽する。

 

かなり多分に性差が存在すると思うが私からすれば違和感しかない。

 

 

根本的に流行に踊らされることに抵抗を感じる私がちいかわブームを苦々しく思い、もう一年ほどを生きていく。

 

 

以上です。

なぜ、男児の母親は、子をかっこよく仕立て上げないのか?

私には二人の娘がいる。まだ低年齢だが。

 

妻は自分の嗜好に合う服をたまに着せ、喜んでいる。

しかし、周囲を見渡したり、自身を振り返り、男児を持つ母親が子を着せ替え人形にする事例を見聞きしたことがない。

 

この理由として、「性差」が挙げられる。

 

一般的に、男子は自身の服装に無頓着だ。女子は服装にその命を賭す。

 

この違いは何かを私なりの解像度で説明すると

「服装による外見のブラッシュアップにより、周囲からの庇護をうけるため」

だと考える。

 

 

いろいろな不具合が、この発言には出てくるとは思うが、まずは個人の一つの考えとしていったん、受け止めていただきたい。受け止められなければ単にこのページから離脱し、永久にブロックすればよい。

 

 

古来より、人間の男は狩りに出て食料を取得し、
女は協力し合い、木の実などを採集し、生き延びてきた。

木の実採集は周囲の女たちとの協業が必須だ。
作業効率は一人よりも複数人数の方が圧倒的に良くなる。

 

この「協業」が曲者であり、普段の人間関係がままならなければ協業もなしえない。

人間関係を円滑に形成できない女はつまはじきにされ、食料にありつけなくなる。つまり死ぬ。

 

女性のコミュニケーション能力は、古来より受け継がれたれっきとした進化の結果であり、

男性には培われなかった部類のものだ。

 

 

男性は感情を動かすこと、正確にはそれをあらわにすることに抵抗を示す。

例えば、突然大きな音が鳴った時に悲鳴を上げるようなことはしない。

これは、獲物と戦っている最中に悲鳴をあげていては、自分の命が危うくなるからだ。
悲鳴を上げるほどの恐怖が訪れようが、まずはどうすればこの場を生き延びることができるかの行動を選択する。

 

おそらく、狩りの場面で悲鳴を上げて解決する事例は皆無であろう。

 

ビビったら負け。

こういった勝ち負けで物事を論じるのは男性の特徴だ。女性からすれば滑稽極まりない。「なにに勝つんだよwww」とは当然の感想であろう。

 

しかし、マンモスと戦う男たちにとって、恐怖の対象にそのまま恐怖していてはどうしようもない。ここから生き延び、生きる糧を持ち帰ることが使命であり、そのための最善の行動を瞬時に取らねばならない。

感じた恐怖をそのまま「怯え」というアウトプットをしている場合ではないのだ。だって死ぬんだもの。

 

 

こういった背景があり、現代でもその遺伝子は男性に受け継がれ、ジェットコースターに乗っても素直に「きゃー!こわいー!」とは言わないのだ。

 

また、引くに引けない場面も出てくる。けんか相手が自分よりも明らかに強そうでも、虚勢を張り、立ち向かっていく。

ここで恐怖に負け「怖いのでけんかやめよう」などと言おうものなら、対マンモスでは即死である。立ち向かえばどうにかなる可能性が出てくる。しかしあきらめたらそこで試合は終了なのである。という脳の作りになっている。

 

女性には一切実感のわかない、理解のできない話であろう。

 

 

一方、女性は自身の外見を磨くことに全生命を賭す。

古来より、周囲との調和がはかれない=死

という世界で生きており、その遺伝子が現代の女性にもあられている。

 

 

周囲から浮いた服装であれば、すなわち村八分の危険性をはらむ。
女性の形成する共同体は、その構成員を厳選する。

ちょっとでも異端が入ろうものなら、その共同体は崩壊する。

 

共同体の存続が第一であり、そこには異端=排除すべき存在

とダイレクトに判断され、実際に排除される。

 

また、共同体の存続のためには手段を選ばず、共同体内がぎくしゃくし始めると、
一人をいけにえとし、悪者に仕立て上げ、他の構成員たちの結束に利用する。

 

陰湿ないじめ、と一般的に言われる女子のあるあるは、実はこのような進化をたどって形作られた、れっきとした脳の作りによる正常な判断なのだ。

 

 

だから、女性は女性同士のコミュニティにおいて、自身がのけものにされることに本能的な恐怖を感じるのだと推測する。

 

 

だから、コミュニティから排除されぬような外見や振る舞いに命を賭すのだ。

 

 

 

 

 

さて、進化の過程の話はおいて置き、

 

男女では明らかに服装に対する考え方は異なる。

男性の所持する服の数と、女性のそれとでは平均して100億着の差が発生する。

 

私など、私服に関しては完全ローテーションを心がけており、
クローゼットにかけている数着の服を、左側から順番に着ているだけだ。

ここに「今日は赤の気分だからこの服にしよーっと💛」のような心の動きは一切ない。

 

無論、意中の女性とのデートの際には「どうすればかっこよく見えるか」をフェルマーの最終定理の解決以上に思考し模索するが、それはある意味「獲物を捕らえる」の延長上に位置する行為だと私は解する。あくまで個人の見解である。

 

 

そんなこんなで、世の母親が娘に対して着せ替え人形のごとく扱うことはごくごく自然の成り行きであろう。

 

しかし、男児にはそういったことをする母親は少ない。いない?

 

 

なぜか?????

 

 

Threadsに興味深い投稿があった。それは

「世の母親は、無意識のうちに、自分の子(男)をモテなくさせようとしている」

というものだった。

 

端的に言えば、他の女に自分の子を取られたくない、

こういった心情が存在するとの主張だ。大変興味深い。

 

 

 

私は中年となり、かわいい娘二人の親となり、はたと感じた。

なぜ、私の母親は、私をもっと男前な外見にしようとしなかったのだろうか?

 

 

例えば髪型。

ホストクラブのホストを見ればわかるように、男性はその髪型でかなり外見が変わる。髪型だけですべてが変わるといっても過言ではないほど、髪型は重要だ。

一部、どんな髪型でもモテる男、例えば丸刈りの野球部のエースとか。もうこれは外れ値なので考慮してもしょうがない。

 

服装や体形もそうだ。今からは信じられないが、私は小学生時分は肥満児だった。もはやなぜ肥満児だったのかは分からないが、おそらくは食べすぎ?いや、高校生時分の方が10倍食ってたで。

 

 

 

小学生、中学生時の自分の写真は見たくないほどかっこよくない。
現代でいうところのチー牛といったところか。

 

これがもしも、毎月美容室にて流行を捉えた髪型にしていたなら。
眉毛もほっそく整えていたなら(無いほど細い眉が流行ったあのころ…)。
私服もネルシャツにジーパンの一本槍ではなく、他の有効な選択肢を知っていれば。

 

 

こういった「女性に支持されるファッション」は、母親の方が得意なように感じる。
当時、30年ほど前の時代背景を鑑みても、中年女性の感性の方が、中学生男子よりも圧倒的に上だろう。まあ、中学生男子が母親に勧められたファッションにするかと言われれば絶対ないが、では小学生の時は?そういったある種の「女性に支持されるための」ファッションや身だしなみの英才教育を施してもよかったのではないか?

 

男性として四十数年間生きてきて思うのは、

若年のうちに女性からの支持を受ける、これはただ一人でもいい、身内以外の女性からの「恋愛対象となる自分」を経験することはかなりのアドバンテージとなる。

 

30歳の男女を見てみた場合、

おそらくこれまで一度も性交渉経験のない男性は結構いる。
しかし、女性で30歳になって一度も性交渉経験のない者はほぼ皆無であろう。

 

女性の場合は、相手を選ばなければ、男は自動的に寄ってくるのだ。

しかし、男性はそうはいかない。誰でもいいなどと言える身分では到底ない。誰にも相手にもされない。世のほとんどの男性がこの立ち位置なのだ。

 

そこを、若年のうちにたった一人でもいい、一回でもいい、自身を恋愛対象としてくれ、さらにはしっかりとした恋愛経験を重ねる経験をした男性は、強い。強者だ。

 

おそらくだが、社会的成功とも関わってくるだろう。
たかが恋愛経験でそんなに?と女性は思うかもしれないが、そうなのだ。

男性は、自ら女性にアプローチし、その大半に歯牙にもかけられず突き放される、時には妥協することもあり、その時ほどこっぴどく振られる。

こういった経験を経て、やっと女性と恋愛関係を気づくことができる。

 

 

これらを一言でまとめると、「性差」なのだ。

 

 

だから、世の男児の母親諸君!

 

異性からモテる人物にした方が、この人生をより良いものにする。

 

子は自身の所有物ではない。

 

 

母親諸君が中学高校生時分、教室にいる「視界にも入らない男子」はいなかったか?

 

自分の子がそうなることを、あなたはどう見るのか?

 

 

視界にも入らない男子が視界に入るようになることはかなり困難だろう。

 

 

男は単純で、女に支持されれば調子づく。結果、指示にも従うようになろう。

 

 

 

というわけで、もうちょっと若い時にモテたかったな、というお話でした。

 

 

以上です。

 

 

物事が一瞬で解決するようになっているなぁ

先日、ドラッグストアでの水くみを断念する方向になり、水難民となった。

 

いちいち近所のスーパーで水の二リットルペットボトルを買わねばならんのか?
コスパもそんなに良くないし、何より重い。これから訪れる冬を考えると、これらの荷物を持ち運ぶことは様々なデメリットを巻き起こす。

 

どうしたもんか。

 

 

あれ?そういえば…。

 

うちは築8年の物件であり、設備もそこそこ新しめだ。

台所の水栓には確か、浄水機能がついていたはずだ。
長らく使っていなかったため、すっかり忘れていた。

 

そう。

台所の水栓に浄水用の専用カートリッジを取り付ければ、
カルキカットのおいしい水が飲めるのだ!

 

ただ、このカートリッジが高額だ。

価格は三本セットで約13000円。一本4000円強。

これで4か月。1か月1,000円。

 

こう考えると、都度都度ペットボトルを購入する方が安上がりだ。

 

と思ったが、月々1,000円か。
意外と安いな。

 

しかし、カートリッジは三本セットでしか売っていない。
突然一万数千円の出費は怖い。そんなに水質が変わらなかったら…と考えると怖い。

 

 

などと考え、Amazonを探っていると、互換品の文字が。

純正品ではないが、機能は同じ、との触れ込み。

 

すぐさまClaudeのOpas5.5で調べると、少なくとも、スペック上は純正品と変わらないのだそうだ。

 

これで値段は三本セットで6000円弱。半分以下だ。

 

これで試してみるか。

 

 

私の使い方では、理論上1年近くはもつ計算となるようだが、

カートリッジそのものの清潔性を考慮すると、長くとも半年で交換するように助言があった。Opas5.5、賢い。

 

 

一本2,000円しない。半年持つ。1か月換算で300円台。

これでいこう。

 

 

すぐにアマゾンで注文、なんと翌日に届くという!配送員大変!

 

で、届き、使ってみた。

 

 

明らかにカルキをカットしている!

おいしくなっている!

 

 

よかった。これで水を汲みに行く必要はなくなった。
この三本で、最大で1年半もつ。コスパよし!

 

 

で、ついでにコーヒーメーカーに入れる際に、浄水にした方がいいのか、水道水にした方がいいのか、Opas5.5に聞いてみると、

「ドラストの水と違い、この浄水機能はカルキカットのみであり、ミネラルは失われない。ミネラルも失われる純水はダメだが、ミネラルの残留するこの浄水は水道水よりお勧めだ」

 

とのこと。なるほど。

 

 

好奇心で、Gemini3.1プロにも同じ質問をしてみた。

すると、私の所持しているコーヒーメーカーの機種は、カルキカット機能が付いているため、水道水の方がよいとのこと。

 

ん?と思い、この回答をOpas5.5に示すと、「明らかに間違っている」との回答。
で、さらにその回答を再度Geminiに投げかけるとGeminiは

 

「おっしゃる通り、ハルシネーションを起こしてしまいました」

とのこと、正直でよろしい。

 

私は続けてGeminiに「現在の3.1proというモデルは、もはや限界に達しているのではないか?新モデルのリリースはどうなっているか?」

と尋ねた。

 

回答は「その通りで、他のLLMに比して能力の低さは否めない。ハルシネーションも起きまくる。なので、新モデルGemini4をリリース予定」

とのことだった。

 

このモデルは、ChatGPTやClaudeに対する遅れを取り戻すことができる能力を秘めているのだろうか?

 

明らかに百歩ほど遅れているGeminiの、巻き返しが始まるのか??

 

 

ちなみに、私はChatGPTは現在、課金していない。やめた。Claude一本で十分。
Geminiは、ストレージを使用しているため、自動付加されるため課金済み。

 

出来ればGeminiが進化してくれると嬉しいなー。

 

 

 

こんな感じで、ある行動をとる際に「ハードル」となる知識不足の面が、

生成AIにより補われる時代となった。

 

やりたいんだけど、よくわからんからやっぱやらないことにしよう…

という言い訳が通用しなくなった時代ともいえる。

 

 

また、Claudecodeなどのコーディングスキルを使えば、多くのものを作ることができる。

 

例えばゲーム。例えばLP(いまだにWordPressを使っていて、更新などで死んでいる人はいないか?)。例えば書籍の執筆。

 

様々なことが今、夢の話ではなくなり、個人が自由にできるようになった。
SUNOを使えば音楽だって作ることができる。

 

しかも、それぞれそれ相応のクオリティが担保される。

 

 

情報不足で行動が制限される、という時代を過ぎた今、私たちはいろんなことに挑戦できるようになってしまった!

 

私は今のところ、これを幸せと感じるのだが、
もしも既得権益に踏み込む事態となれば、その阻止が表面化することにもなりかねない。

 

 

ワープロが出始めたときに「手書きじゃなければ文書ではない」と主張した層と同じように、

AIで作ったものはものではない

と言い張る層が、出てくるだろう。わんさかと。

 

その時に、AIを使いこなし、さっそうと彼方へと飛び去っていける自分でありたい。

 

 

 

浄水カートリッジを取り付けただけの話だが、何だかこんなことも感じた。

 

 

 

 

この浄水で炭酸水を作り、ハイボール(フォートウイリアムおいしい)飲む。

 

 

 

 

今日は以上です。

ほんとにリサーチは大切。

町内に唐揚げ屋ができるという。

聞いたことない名前だ。FC店と思われる。

 

 

10月中に開店予定だというインスタの発信では、住所も公開されていた。

場所は一発で分かった。

ただ、どんな建物だったっけな?確かにコンビニは向かいにあるが、唐揚げ店を営むような建物があったのか?そもそも駐車場は皆無なのでは??

 

などなど心配の種が尽きず、また、様々なことへの好奇心旺盛な時期は人間誰にでも訪れるもので、実際に現場に行ってみた(死)。

 

 

うーん。

この建物??

 

 

まずは、10月中にオープン予定の割には少なくとも外観を一切と言っていいほどいじっていない。雑居ビルとも言えない、なんというか、そこに存在を感じさせない、空気のような位置であり、外見であり、雰囲気の場所だ。

今の居住地の前、八年ほどこの建物の近くに住んでいた私でも、場所はわかっても「どんな建物が建っていたっけ?」となるレベルの存在感だ。

 

 

10月終了まであと20日足らず。

 

外観・内装の工事は終わるのだろうか…?

 

 

あと、やはり、駐車場は無いに等しい。二台くらいは無理すればとめられるのだが、
なんせ狭い。しかも、道路沿いにはクロスされた鉄骨、つまりばってん型に組まれた「壁」ともいえる作りとなっており、非常に車が停めづらい。このニュアンスは現場を見ていただかなければお判りいただけないだろう。

 

 

唯一の解決策は、向かいのコンビニの駐車場を拝借することだが、果たしてコンビニは貸すだろうか?まあ金次第だとは思うが、コンビニ側が納得する金額は提示できまい。換言すれば、このコンビニの駐車場を確保できれば勝機はあると私は見る。

 

 

とりあえず以上の点において、(駐車場確保ができねば)早期撤退はまぬかれないだろうと私は感じた。

 

 

車が停められないという問題は超絶重要だ。

50メートル離れていても、秋田人は車を使う。

 

都会の者は笑うかもしれないが、秋田市の真冬のデフォルトである暴風雪時に50メートルを歩行し、かつ買い物したものを持って帰ることは成人男性でも困難を伴う。
風速が国内有数の強さの雪国の冬を経験しないと想像だにできないかもしれないが、秋田市の真冬の路面は殺人的なノー摩擦である。風が地面に氷を作り上げ続ける。

これは新潟などの豪雪地帯にも無き現象だろう。
車の通過時に足を滑らせ転倒すれば、文字通り轢殺さる。冗談ではなく、本当にそうなのだ。

特にこの唐揚げ店の前の道路のように狭小な道路では!

 

 

なぜこのような場所に店を構えようと思ったのだろうか…??

解せぬ。

 

 

リサーチは行ったのだろうか?

 

 

なぜ山王ではなく、広面ではなく、雄和ではなく、土崎でもなく、追分でもなく、八橋でもなく、千秋城下町でもなく、ここなのか?????

店を構える場所を決めるときに、それ相応の理由があるはずだ。

商売を始める際に重要なのは事前のリサーチだ。

 

例えば、前職の塾時代は、新店舗を出店する際は綿密な事前リサーチが行われた。

商圏に学校はいくつあり、生徒児童数は何人か?また、地域の平均年収はいくらか?などなど様々な条項を調べ、刑事ドラマの捜査本部よろしく、でかい模造紙に印刷された地図にシールを貼るなどそれっぽいことをした。

 

 

このあたりは大手資本、特にコンビニなんかはかなり詳細にリサーチをかけるに違いない。

つぶれるコンビニの印象が大きいので「コンビニはすぐにつぶれる」と誤解しがちだが、出店したコンビニの多数は今も生き残っている。リサーチの威力だろう。

逆に言えば、リサーチにかなわぬ場所には決して出店しないという決断ができている証拠だ。

 

 

 

 

前職時代の上司がのれん分けで教室を開いたときから、私はずっと

「なぜこの地を選んだのか?」

と疑問に思っていた。それは今もって変わらない。あれから10年弱の年月が経ち、まだ存在していることを鑑みると、失敗とまでは言えないのかもしれないが…。でもあれは流行っていないだろうぜ…。

 

 

もしも当時の元上司の立場なら、私は間違いなくもう少し北の駅の直近に教室を展開しただろう。

理由は

・講師(大学生)の確保が容易なこと

 →これは個別指導塾のFC展開をするうえで最も重要な要素と言ってもいい。

 

・駅近による高校生の確保が容易

 →子供の数が減り、高校受験対象だけではもう秋田県では塾を存続させることはできない。

 

・新しき移民が新興住宅街に押し寄せている時期

 

 

の三つだ。

 

はっきり言ってボーナスタイムである。
しかも、競合塾も数店舗あり、相乗効果も期待できる。

 

なんでここに塾を出さなかった??????????????????????????????????????

 

 

 

 

リサーチはあらゆる商売の基本中の基本である。

ライバルがいない=ライバルはここに出店しないことを決断した

ということなのかもしれないことに、出店ハイに陥る者たちは気づかない。

 

 

 

新たな唐揚げ屋の検討を祈りたい。

 

 

 

余談だが、ラーメン店に関しては、私の予想は今のところ、ほとんど当たっていない。

まず、短期で閉業するラーメン店が思いのほか少ない。

これは意外だった。

 

 

マズいラーメン屋が現代において存在しえない証左なのかもしれない。
ラーメン店開業を志す者たちのレベルが高まっているということなのかも。

 

しかも、ラーメンは普通の飲食店と違い、なんか中毒性を帯びるというか、人々の捉え方 方が違うというか…。

とにかく、ラーメン屋にいく人々の心理を私は読めない。私がラーメン屋に「並ぶ」ことを死よりも恐れているからだと思う(そんなに?)。

そんな私にラーメン屋の存続可否を冷静に判断できるわけがない。

 

 

まあそんな感じで、一回は食ってみたい、その店の唐揚げ、楽しみに開店を待ちます。

 

 

 

以上です。

 

なぜ歓迎されないのかが分かった

仕事帰りに、経路途上にあるドラッグストアで頻繁に水をくむ。

 

二リットル容量のボトル一本500円だっけか?を買えば永久に汲めるアレだ。

 

かれこれ三年以上、このボトルを使用している。かなりの耐久性である。ただ、さすがにキャップ部分に連結している、プラスティックの持ち手部分はすでにもげて消失済みだが…。

 

 

いつも思うのだが、

このボトルを手に入店すると、高確率で店員側からのいらっしゃいませがない。
なぜだろうか?

 

やはり、水をくみにくるだけの、金を落とさない乞食にかける言葉はない、ということなのだろうか?

しかし経営者でもなんでもない、ただの雇われのいち従業員が、金を落とすか落とさないかで客を区別することがあるだろうか?

私が店員なら、余計な会計業務につかずに済む分、水汲みだけの客の方を優遇したいという気分になると思う。その店が存続するか否かの観点はここには、ない。これは多数派の意見なのではないだろうか。

 

もしかすると、ここの店員たちは店の売り上げを考慮する意識の高い集団なのだろうか?

 

そんなことを考えながら、ある種の差別的な視線を感じながら水汲み乞食に徹していた。

 

 

 

で、先日。

 

私の前に先客がいた。

 

水汲みにかかる時間は、ボトル一本につき大体2分程度。
この店では「一人二本以上給水する場合は一度列から外れよ」と言う旨の張り紙してある。

 

私はいつも二本のボトルに給水するためにこの規定を自らに適用したことはない。

 

先客は明らかにボトルを三本以上所持していた。

 

私が到着してからも、四本のボトルに給水をした。二本給水後に再度並びなおすリテラシーはないようだ。

 

普段なら私は

水汲み途中で列をよけようとする先客に対し、「全部終わるまで良ければどうぞ」と譲るのだが、何も言わずにしれっと給水を続けるものに対しては指摘する。

 

今回も(先客は太った体格のいいオッサンだった)「張り紙があるんですが」と突っ込むところだったが、幸い時間に余裕があり、オッサンを黙って直立しながら目視していた。大体の人間であればこれで避けるのだが、このオッサンは全くよけず、何ならこちらをにらみ返すような始末。

 

これも普段の私なら相手が具体的なアクション(こちらに歩み寄ってくるなど)を起こすまで直立目視を無表情で続けるのだが、今回はそれを避け、距離にして1メートルほど(近い)を保ち、スマホで今日のニュースを見返していた。はたから見ればちょっと異様な空間だったに違いない。

 

なぜ私はこのオッサンにアプローチしなかったか?

その決め手となったのは、このオッサンが水をくむ前に備え付けの水場でボトルをゆすいでいる動作を見て違和感を持ったからだ。

 

ボトルに水を水道から入れ、振って洗っている。その振り方が「シェゲナベイベエー」よろしく異常な強度でのシェイキング。それを毎本続ける。

私はそれを見て、なるほど、このオッサンはなんらかの先天的不具合を脳に抱えているのだと察した。

 

こういった輩には、言葉での威圧は通用しない。言語のウラにある背景を解することができないからだ。通用するとすれば、痛覚を伴った脅しくらいだろう。

 

 

で、オッサンの番が終わり、いよいよ私。

給水機周辺を見渡すと、一面に水浸しの様相を呈していた。

 

 

ここで私は一気に

「水を汲みに来る者は、クズである」

と店員が認識している理由を理解した。

 

 

そう。

水汲みの民の中には、不要に周囲を汚す部類が含まれるのだ!

 

 

こんなにも汚せるものなのか?

私も驚かざるを得なかった。

 

 

この汚れを始末するのは誰か?

もちろん店員である。

 

余計な仕事を増やし、かつ店に金を落とさないキチガ〇を人間視しないのは当然である。

 

 

 

衛生的にも、もう水汲みはしない方がいいかな…。

 

 

キチガ〇との共存は難しい。

 

 

無料に群がる人間に、リテラシーの高い者はいない。

自分を含め、これは少し考えないとだな。

 

 

 

水は普通にペットボトルで買おう。

 

 

そんな日常のお話であった。

 

 

 

以上です。

ボクシング世界戦を振り返って

ボクシング界のご意見番である私が、9.27を振り返りたいと思う()。

 

 

 

まず坪井。

 

すまん。私の見当違いだった。

最も足りないもの、それは「経験」だった。

今回のように、純粋に競技レベルが高く、かつ、「いなし」の質が異様な相手との対戦経験はなかっただろう。

 

坪井に求められるのは、世界ランキング最上位クラスとの対戦経験だ。

難しいのだろうか?マッチメイク。この「ちょうどよい」強さの相手と闘うことができないのだろうか?

 

とにかく、ちょうどよい相手との対戦を二、三戦組むことが急務だ。

 

それと、これは完全なる想像だが

指導者たちが坪井本人に助言をしていないのではないだろうか?
坪井は完成された選手だ。

 

おそらく、ボクシングへの向き合い方も文句なしだろう。
例えば練習であったり、普段からの体重管理をはじめとした節制に対する意識であったり。

何も言わずとも自分を追い込むことができるのだろう。

 

だからこそ、周囲の指導者たちは坪井に何も言うことができなかった。
何かを言えば、それを崩してしまうのではないかという疑念が付きまとう状態だったのではないだろうか?

 

しかしそれでは指導者とはいえない。

ただただ「横にいる人」だ。

 

指導者とは、常に客観的に選手の状態を観察することができる。
だから、適切な助言を施すことができる。

 

坪井にはこの「客観的な助言」が届くことがなかったのではないか?

 

そして、最終12ラウンドを含め、なんだか坪井に余力があるように感じた。
全力を出し切るという経験をまだ、坪井は知らないのだろう。

 

そんなことを感じた一戦だった。

 

 

 

 

で、メインの拓真天心。

 

 

私の予想は外れた。拓真の大差の判定勝ちを予想したが、それほど大差でもなかった。

私の想像よりも、この両者の実力は拮抗していた。

 

 

天心がダウンをとったシーンは印象的だった。

 

この試合で、いや、キャリア全体で見ても珍しく、拓真の気が長時間(まあ0コンマ何秒の話だが…)緩んだ。

そこを天心のパンチがとらえた。が、その後がいただけない。

天心は手を突き上げ、観客にアピールした。
一流の世界王者はたった一度のダウンをとった程度で、パフォーマンスのみでは終わらない。

倒れた相手を観察する。
どれほどダメージがあるのか?ないのか?このままラッシュをかけてもいいのか?それとも待つべきか?

比べるのも酷だとは思うが、井上尚弥はこのあたり、非常に冷静に相手を観察する。井上尚弥自身がダウンを喫しても、その冷静さが揺らぐことはない。しっかりカウント7まで休み、自分の足をはじめとした体が動くのかどうかを確認し、すくっと立ち上がる。
ここに、ムダなパフォーマンスが介在する余地はない。

 

 

天心は、稀に見るほどの拓真の気のゆるみ度合いと、自身の攻撃がかみ合った、この千載一遇のチャンスを逃した。ここでラッシュをかけ、倒す道は十分にあったと私は思う。

 

 

 

現在のボクシングの採点は、ラウンドマストシステムにて行われる。

一ラウンドごとに、優勢な選手に10点、劣勢な選手に9点をつける。
以前は10:10をつけることも可能だったが、このラウンドマストシステムは必ずや10点と9点に分ける必要があり、これが採点者を悩ませる。
解説の元世界王者の採点が、実際と乖離するのはこれが主たる要因だ。

 

ひょっとすると、以前の採点方式、つまり10:10が可能な頃なら、判定で天心が勝っていたかもしれない。

しかし、現在の採点システムではやはり、どう見ても拓真の勝ちである。
ダウンをとったラウンドは自動的に10:8となる。つまり、2ラウンド分の得点となる形だ。

しかし、その他のラウンドで優勢を重ねている相手に対し、一度のダウンではプラス2点に過ぎず、つまり、

今回の採点に疑いの余地はない。逆に、今回天心を勝ちにしたジャッジの一人の適性を疑う。

 

天心が試合後に嘆いていたのは、ラウンドごとの優勢をどうやってジャッジにアピールするかの能力不足だった。

拓真はそこが秀でていた。

天心は、いや、天心のみならず天心の指導陣も同調していたのだが、
そのアピール力を否定するような物言いだった。

しかし、そこを崩したらもう、それはボクシングではない。

試合後のSNSでの天心の発言も含め、非難されている部分だ。

 

一言で言えば、勝てば官軍。

 

天心も坪井も、勝利していればなんにも言われることはなかっただろう。

負ければ様々、掘り返され、試合後の振る舞いについて非難される。

 

プロの世界はかように厳しいものだ。

 

 

 

最後に、天心のボクシングについて。

 

キック時代の天心は無双だった。

 

ボクシング転向後、無双時代の縦横無尽なファイトスタイルが鳴りをひそめた。

ルールの違い、特にナックルパートでの打撃以外は反則、という規則は天心のような奇想天外ともいえる攻撃を生み出し、実行する選手にはきついのかもしれない。

 

ボクシングでは蹴りはもちろん、バックハンドブローも使えない(ナックルパート以外に当たるから)。

 

しかし、今のベタ足のファイトスタイルは、天心の良さを消してしまっているのではなかろうか?

 

共通点は「格闘技」と言うだけではあるが、ここで一つの事例を思い出す。

元横綱の曙だ。

 

Kー1転向後、パッとしない戦績だった。

しかしそれは当然であり、曙の強さは立ち合いからの突進と両の手から繰り出されるツッパリである。

 

直立するキックボクシングにおいて、曙の良さは微塵も引き出すことができない。

曙が立つべきは、
体当たりアリ、金網アリ、様々な部分への打撃アリ、の舞台であったのだ。現在のUFCが近いか。

 

 

体当たりからの金網固定(その前にその衝撃により圧死可能では…??)からの平手での打撃。これで多くの対戦相手を退けることができただろう。

 

まあ、その方式で言えば、歴代最強の力士は武蔵丸を私は推すが、なんだかこのまま大きく脱線してしまいそうなのでここまでとしよう。

 

 

 

 

 

なので、天心はもっと自由にのびのびと競技に取り組むべきではないだろうか?

このままいけば、バンタム級での世界タイトル奪取はなかなか難しいだろう。

 

減量も厳しいようなことも聞こえてくる。スーパーバンタムに上げたとて、世界タイトル奪取の可能性はさらに低まるだろう。

 

 

極論、天心にボクシングは合わないのだと思う。

 

キックか、せめて総合。

これが天心を輝かせる舞台だと思う。

 

 

 

そんな感じで、今日は以上です。