一年締めくくりの九州場所。
大関同士の千秋楽相星決戦は見ごたえ十分だった。
八百長が極端に減る中での14勝1敗は立派だと私は思う。
来場所は豊昇龍とともに綱取りの場所。二人同時の横綱昇進も十分にありうる。
来年の前半、大相撲の世界は近年まれにみる盛り上がりとなることを、願望を込めて予言する。
さて
今場所は悲しいニュースから始まった。
名解説者、北の富士勝昭さんが亡くなられた。
千秋楽の取組後の表彰式の際、解説の舞の海さんが「先代(琴櫻のおじいさん)もそうですが、北の富士さんも喜んでいるでしょう。」というコメントを発し、相撲ファンの涙を誘った。
入れ替わるようにして、新たなNHK専属の解説者が誕生した。
琴風浩一(ことかぜこういち)さんだ。
前尾車親方といったほうが分かりやすいのかもしれない。
1985年に引退した琴風の現役時代を、私は覚えていない。
引退後に興した尾車部屋、そこの師匠として後進の指導にあたる、
というよりは解説でおなじみの尾車親方。
そういった印象を私は尾車親方に抱いていた。
私が高校生時分、1995年前後、
場所中の12日目が尾車親方の解説の日だった。
くしくも(狙って?)NHKの大相撲中継とテレ朝の大相撲ダイジェスト、どちらも毎場所12日目が尾車親方の担当だった。
優勝争いの行方も気になるから、というのが当然一番大きいのだが、終盤戦、特に毎場所の12日目が来るのが楽しみだった。
日曜夜のNHKのサンデースポーツでは「尾車親方のアクション解説」がレギュラーコーナーとなっており、
親方自らアナウンサーや、時には同じく専属の野球解説者の原辰徳を相手に四つに組む動作を再現していた。
一般人であるアナウンサーはともかく、元プロ野球選手の原辰徳も小柄に見えるほどの巨体。
尾車親方=でっけー
が私の認識であった。
が
ある時を境に尾車親方の姿を見なくなった。
数年後に大相撲中継に出演したのは、信じられないほどやせた、いや、冷静に見れば一般人同様の体格までやせに痩せた尾車親方だった。
2012年くらいの話だ。
何があったのだろう???
当時はSNSの普及が今ほど進んでおらず、尾車親方の情報が私のもとに飛び込んでくることはなかった。
もしも2024年現在であれば、SNSを介して尾車親方の様子が分かったことだろう。
時代の流れを少し感じる。
久々に見る尾車親方はげっそりしていた。
近々死ぬのか?
私は瞬間、そう思った。
そうではなかった。
すでに戦い、勝っていたのだ。
尾車親方は巡業先でバランスを崩し、首から下がマヒしてしまい病院に搬送。
激しいリハビリ生活を送って復帰したのがこの日だった。
その後、尾車親方が自ら執筆した半生を「人生8勝7敗 最後に勝てばよい」という書籍にて出版、発売後即購入した。
その本が久々に出てきた、ってか探した。あった。
もちろん初版。
尾車部屋にはわが秋田がほこる力士、豪風が入門したこともあり、
私のひいきの部屋になっていた。
その後、後輩の嘉風も入門、二人の幕内力士を抱える部屋となった。
琴風の現役時代、大関にまでなってもなお、泣きながら稽古場で泥にまみれていたそうだ。
今の大関連中でここまでやる者はいるだろうか?いた。琴櫻と豊昇龍だ…。彼らは稽古十分!
尾車部屋からはこの後、矢後や友風、天風、皇風など、多くの幕内力士を輩出したが役力士は豪風と嘉風の二名のみだ。
この点からも、尾車親方の豪風、嘉風に対する印象は大きいのだろう。
尾車部屋最初の関取、富風が「これに勝てば関取(十両昇進)」という取組に勝利した際、自らが大関に昇進したとき以上の喜びだったという。
しかし、幕内に定着したのは尾車浩一親方在職中はほぼ二名だけだった。
あとは弟子の豪風、現押尾川親方と嘉風、現中村親方にバトンタッチだ。中村親方はいろいろすったもんだあったが…。
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今場所から解説に加わった琴風浩一さん。
実況のアナウンサーも慣れていないのか、しかもタイミング悪く琴櫻が優勝争いをしている影響もありこの前の千秋楽、ついつい琴風さんにむかって
琴櫻さん
と間違い呼びかけをしてしまったのだ!!
それを華麗にスルーした琴風さん。
ところで、実況アナが琴風さんに「琴櫻と豊昇龍、どちらが勝つか」と問うと
分かりませんと琴風さんが答えた。すかさず舞の海さんが
「解説者たるもの勝敗は明言すべき」
とかみついていた。
なんというか、いろいろ今後が楽しみな大相撲中継だ。
新たな名物となるのか?舞の海と琴風。
来場所も楽しみに大相撲を見守りたいと思う。
今日は以上です。