晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

幼稚園からのお便りの内容が分かりにく過ぎて…

先日、子供が幼稚園から一通のお便りをもらってきた。

気になるタイトルだったので私は真っ先に目を通してみた。

 

しかし、そのお便りの肝心の結論が全く読み取れない。

 

以下にそのお便りの全文を記すので皆さんも試しに読んでみてほしい。

フェイクなしなのでどの幼稚園かバレバレかも…。

 

 

体育着の変更について

 

今までの体操着を注文していた業者さんが閉店することになり、それに伴い新しい体操着に変更となります。デザインも変更となり、機能性としては、しっかり伸びて着脱しやすく、速乾性にも優れているものです。新デザインの見本は、11月中旬頃まで幼稚園の玄関に展示します。

 

◎半袖体操着→価格(円)2,000

◎半ズボン体操着→価格(円)1,800

 

 

以上がお便りの内容だ。

 

とりあえず、大きな疑問が一点ある。それは…

 

 

体操着を買い替えなきゃいけないの?どうなの?

 

 

ということだ。

上記文面からは

・体操着が変更になるから必ず新たに購入してくれ

なのか

・新たに購入する場合(強制じゃないからね)にはデザイン変更になるからよろしく

なのかが一切判断がつかない。

 

マジでどっちだ?

 

 

あと、もう一つ気になる点があり

 

"機能性としては、しっかり伸びて着脱しやすく、速乾性にも優れているものです"

 

とあるが、深読みしすぎかもしれないが、

 

現在着用している体操着は、

着脱しにくく、すんごく乾きにくい

ものなのか??

 

我々は、子供の入園当初より、超粗悪品の体操服をつかまされていたのか!!

どうなんだ!!

気になって夜も7時間ほどしか寝られない…!!

 

 

とまあ、

半ばふざけ気味に語ってしまった。

おそらくは後者(これからもしも新たに買うんだったら、新型になるからそのつもりでいてね、の方)だと思う。

なぜなら申込書や決済方法などが記載されていないからだ。

 

これはこれで一件落着ということでOK。

 

 

さて

 

皆さんはコミュニケーションコストという言葉をご存じだろうか?

 

文字通り、コミュニケーションにかかるコスト(費用や労力)のことだ。

 

一般的に、コミュニケーションコストが低ければ低い方がいい。

コミュニケーションコストが低いということは、

極論「つー、かー。」で済むということだ。

 

コミュニケーションコストの高い人は、一回のやり取りでは終わらない。

何回もやり取りをしないと要件を伝達できないのだ。

具体例を挙げよう。

 

A「君は映画が詳しいようだね。おすすめの映画は何だい??」

 

B「(なめとんかこいつ)えーっと…あの…おすすめと言っても2億個ほど候補があるのですが、例えばどんなジャンルをご所望で??」

 

A「スカッとするやつがいいなぁ」

 

B「(ふざけんなヴォケ!炭酸飲料のCMでも見てろハゲ!)アクションですかね?」

 

A「うーん、アクションでもいいし、とにかくおすすめないの??」

 

 

 

みたいな感じだ。

皆さんにも身に覚えがあるかもしれない(A側、B側どちらにせよ)。

 

要はAの聞き方が要領を得ないため、

Bがわざわざ質問された事柄を深堀りする質問を、さらにしなければならない。

 

これがコミュニケーションコストがかかるという現象だ。

 

だから、コミュニケーションコストを下げるために、Aはこのように質問すべきだった。

 

A「映画初心者が見てスカッとするアクション映画ベスト3を洋画・邦画でそれぞれ独断と偏見に満ちていて結構なので教えてくれない??」

 

このような質問なら、映画に詳しいBは即答できるだろう。

 

次の例に行こう。

 

 

C「お前大相撲に詳しいだろ?歴代で一番強い力士って誰?」

 

D「強いって何だろう…?」

 

もはや哲学の世界である。

強い=一発勝負トーナメントで強いのか、15日間トータルで勝利数の多いことなのか、はたまた長い年月継続して綱を張れることを指すのか、

強いにもいろいろあるものだ。

 

ちなみに私見だが、

一発勝負ならおそらくは朝青龍が最強ではないか?

理由は「吊り(つり)」を多用することが可能だからだ。

 

力士の吊り技は、その場所一回限りの大技であるのが普通だ。

なぜなら、現代の力士の大型化に伴い、吊りによる背筋にかかる負担は人間の限界をはるかに超え、力士の限界をも超えてしまっている。元幕内の琴龍も吊りの使い手であったが、一場所に一度が限界だった。背筋を確実に痛めるからだ。

しかし、朝青龍は違った。一場所に何度吊っても背筋が壊れることはなかった。

チート過ぎるだろ朝青龍

 

 

いささか脱線してしまった。

私が言いたかったのは、コミュニケーションコストを下げるには、

情報や質問を発する側の努力が必要だ。努力とは言い換えれば相手への気遣いだ。

 

今回の幼稚園お便りにはその努力=気遣いが全く感じられなかった。

その要因の一つに

「○○について」

というタイトルが挙げられる。

 

~について

 

 

このタイトルをつけることによる文書内容の構成が自由になりすぎる。

 

~について

というタイトルには、コミュニケーションコストを下げる要因が微塵も存在しない。

コミュニケーションコストを上げる可能性しか感じえない。

 

私が今回のお便りを作成するなら、タイトルはこうする。

 

「業者閉店に伴う体操着デザイン・価格の変更のお知らせ」

 

どうだろう。

 

「体操着の変更について」に比してめちゃくちゃ何を言っているかがお分かりいただけるのではないだろうか?

 

 

私のタイトル案で文書を作成するからには、デザインと価格の変更のお知らせをすることしかできない

 

しかし、「体操着の変更について」と題してしまうと、それ以外のことも書けちゃうのだ。それがことをややこしくする。ややこしくしかしない。

だから、「デザイン・価格が変わることは分かったけど、結局ウチはどうすればいいの?」という、タイトル汎用性の高いが故の不完全な文章となってしまうのだ。

 

 

私は声を大にして言いたい!

 

「~について」というタイトルを使わない社会でありたいと!

 

 

以上、今回は「~について」撲滅委員会発足についてでした。

 

 

おしまい。