晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

いい年になっても改善できるって素晴らしい

サッカーW杯決勝戦

 

リアルタイムで観戦した。

 

今回も地上波での視聴となり

したがって解説者も前回記事の方と同じだった。

 

そう。

 

元日本代表の森岡さんだ。

 

前回記事では、森岡さんの解説に対する感想を

率直に書きすぎたためにお名前を出すのは控えたが

今回は出す。

 

 

なぜなら

前回の解説からかなりの改善が見られたからだ。

もしかすると私の記事を見たのか?くらい変わった。

 

最大の改善点は

 

自分の考えを述べるようになった

 

という点。

 

前回の解説では

森岡さんの考えはあまり言葉では表明されず

「状況の描写」が発言の主体を占めていた。

 

当然、状況の描写=実況 はアナウンサーの方が何十倍も上手である。

っていうか解説者のやることではない。

 

だが今回は違った。

森岡さんご自身の考えをしっかり言葉に表し、解説をしていた。

 

どうして変われたのだろうか?

 

テレビ局側から注意されたから?

自ら省みたから?

ネットなどで批判が来たから?

 

まあ、理由はどうあれ

一定の年齢の大人、崩していえば「いい年したオッサン」が

自分の行動を改善し、実際に行動に移すことは難しい。

若い人には実感として得られにくいことと思うが、これが想像以上に難しい。

 

今まで当たり前と思ってきた行動をやめること。

そして

そこから新たな行動を起こすこと。

 

この二つのハードルは年齢を重ねれば重ねるほど高くなる。

 

人間には、「今まで生き抜いてきた=死ななかった」という経験則が

頭の中を支配している。

今まで生きてこられたそのライフスタイルを変えることは人間にとってはリスクなのだ。

人間の頭はそう判断する。

 

いままで生きてこられた年数が長くなればなるほど、その経験則の重要性が増し、

経験則から外れることを拒否する度合いが強くなる。

これが、「人間が年を取るとガンコになる」理由である。

年寄り=ガンコは人間の本能なのだ。

 

 

だから、基本的に人間は自分を変えることを是としない。

変わらないことがこの厳しい自然界を生きるための自衛策となっている。

 

特に、仕事に関わることはなかなか変えることができない。

 

私の例で恐縮だが

前職時代、私の職場は日本一電話が鳴る教室だった。

 

私は電話に出る際

「はい。○○塾△△教室、晩酌です。」

と話していた。

 

しかし、

途中で上司になった男性(50歳代)が

「お電話ありがとうございます。○〇塾のサトウです。」

と出ていたのを見て、お、これはいいな、と思った。

 

「お電話ありがとうございます」というワード、

なんと顧客に寄り添った一言だろうか!

私はチラッと「上司の真似をしてみよう」と思ったのだが

しかし今まで慣れ親しんだ「はい。○○塾…」を突然変えることは難しかった。

 

何が難しいかというと、

すでに何千、何万回と「はい。…」で電話を出ているので

もはや"反射"にまで昇華されているとすらいえるこの行動を変えるのはかなりの労力と手間と、何より心理的負担がかかるのを感じた。

 

絶対に「お電話ありがとうございます」で出た方がいいに決まっている。

でもそれができない。

自分の反射に抗ってまで、苦労してまで新たな習慣をインプットする意欲が出なかった。

 

結局、「はい…」と出る電話を貫いて前職時代は終焉を迎えた。

 

電話の出方一つとってみても、

ある程度の年齢=経験を重ねると変化を億劫がるようになる。

これが通常の人間の姿だ(自分の怠慢を擁護するわけではないが…)。

 

しかし、

私より何年か年長の森岡さんは

それをやってのけた。

 

まだまだ自分の考えを述べるのには慣れていないせいか

「~だと思います」

という表現を多用していたが、事実自分の考えを自分の言葉で表現していた。

 

森岡さんは今までも、解説時に

・自分の考え

・不確実な予測

を発言をすることを良しとしてこなかったのだろう。

 

どちらもしょせんは流動的で見方によっては無責任と感じられなくもない。

根本的には森岡さんは、責任感あふれる人物なのだと私は感じる。

 

 

でも、森岡さんは変わった。

変えてきた。

 

 

人が努力して変わる姿を見るのはとても幸せなことだと私は強く思う。

これは前職時代に生徒に対して思っていたことと同じなので

職業病の一種なのかもしれない。

 

でも

何歳になっても自分をよりよくしていく。

そういった考えを持ち、実践している人たちはありきたりな表現だが、輝いて見える。

 

そういった「人が変わる姿」を見て否定的な発言をするヤカラもいる。

「『ガワ』だけ変えたってなんにもならねーんだよ」

 

いきなり100%のクオリティで変化することのできる人間は皆無だ。

大体が回数を重ね、クオリティを上げていく。

自分で変化したことのない人間はこのプロセスを知らない。

自分が変化したことがないからだ。

 

だから、人の変化を平気でけなすことができる。

 

電話の出方を変えることはしなかったが、

生徒や保護者の方々、そして社内の人間に対する接し方を

私は常に模索していた。

特に、生徒への接し方は日々改善の連続だった。

 

そういった経験があり、

今回のW杯決勝戦の解説を聞いていて非常に楽しかった。

希望に満ち溢れる気持ちになった。

 

人が頑張って変わろうとしている姿を理屈抜きで応援したくなる。

一気に森岡さんのファンになった私なのでした。

 

今回のW杯、人生で一番長い時間視聴したが

サッカーって面白いんだなと感じた。

正直、今までは

すぐにピッピピッピ笛がなるし

こけ方=演技力がうまい奴が報われたり、

エリア内でのファールは取らない暗黙のルールがあったり、

とにかくサッカー本来の技術やルールが半ば無視された混じりっけ100%の競技だと感じていた。

 

しかし

VAR判定の導入等により、飛躍的に「まっとうな技術を磨いた選手」が報われようとしている。

 

そういった背景もありサッカーも捨てたもんじゃないな(捨ててたんかいな)と思い始めた。

何より、キックオフから試合終了まで、日本代表以外の試合では全く見たことがなかった私が、外国同士の試合をなんと2試合も最後まで見てしまった(しかもどっちもPK戦までもつれる!)!

 

 

そんなこんなでサッカーに興味あるやつが一人増えたし、その影響の一端を森岡さんが担っているよというお話でした。

勝戦終わった直後に書いた。

いつか日本も決勝に行くだろう。

4年後も楽しみだ。