教室長時代、塾のホームページに「教室長あいさつ」を執筆し、掲載した。
当時の文章が、ひょんなことからネット上に転がっていることを発見し、見てみた。
当時、
本社から「〇〇日までに『教室長あいさつ』を書いて送れ」という指令が来たため仕方なくやる気なしでとりあえず書いたのが下記である(ちょっと長いけど…)。
通う生徒全員に毎日例外なく勉強してほしいと私たちは考えています。力を身に付けるためには圧倒的な学習量の確保が絶対条件です。
短い授業時間で最大限の力を身に付けられるように講師は真剣勝負で授業に臨みます。その授業を活かすためには授業後の復習や家庭学習にかかってきます。生徒は「家庭学習は大切」と気付いてはいても日々の学校生活などに流されて両立が出来ず、家庭学習を疎かにしてしまいます。
多くの生徒が「どうしても家では集中して勉強できない」という悩みを抱えています。その場合は環境を変えて勉強に取り組むことをご提案しています。毎日自習スペースに来て勉強すること。これを生徒に習慣化させます。多数の生徒が放課後に自習室に寄り勉強しています。
進んで毎日例外なく勉強に取り組めるように生徒一人ひとりの行動を変えていきます。
…うーん…
何となく言いたいことは分かるが、結局よくわからないなー
が私の感想である。自分で書いておいてなんだが……。
当時の私は極端な話、「できる限り客は来ないでくれ(仕事増やしたくねーから)」といったマインドであったため、集客につながってしまうホームページ文章を考えることが苦痛であった。
このようにウエルカム精神皆無であったため、教室長あいさつ文章を考えること自体が苦痛だった。
やっとのことでひねりにひねり出した文章が上記である。
だからかー。意味分かんねーのは。
さらに質の悪いことには、どこかしら「威圧的」な点だ。
いやいや書かされているものだからなのか、文に攻撃性のようなものがにじみ出ている。
当時を思い返すと私は当時、会社組織に大きな反発心を持ちながら業務に従事していた様子がうかがえる。
高い授業料を客からぶんどりながら、適正な生徒数を逸脱し入塾者を増やし続け、平然と志望校不合格者を生み出し続ける。
その塾体質に大きな疑問を抱きまくっていたあの頃。
せめて教室長の私ができることとすれば、
通ってくれる生徒たちの学習習慣を身につけさせること(肝心の授業がショボいので!!)。
そういった事情が相まって、このような攻撃性を含んだあいさつ文が出来上がってしまったのだと思う。
今ならもっと責任を持ったあいさつ文を書くことができるだろう。
とにかく塾の使命は「成績を上げ、志望校に合格させること」だ。
そのために取り組んでいることを素直に発信する。
そういったマインドに今、業務に携わるとするならなることだろう。
塾時代を振り返るに、とにかく上司の方針が合わなかった。
悪か善かで言えばどちらかは分からないが、とにかく私には上司の方針が合わなかった。
当時はその「合わなさ」の埋め方を知らず、極端な手段(大声で相手を威嚇する)に出てしまったものだが、今ならもっと論理的に相手を詰め、屈服(!?)させることができる。数字を達成するための武器も多数取り揃えている。
物騒な表現を使ってしまったが、それもこれもすべては通ってくれる生徒のためだ。
教室長たるもの、通ってくれる生徒に対するパフォーマンスを高めるためには手段を選んでいるヒマはない。
なんせ生徒たちは使える時間には限りがあるからだ(最長でも3年間ほど)。
とまあ、こういった信念のもとに仕事に従事する。当時と今の違いはこういったところか。
信念のない仕事からは相手に響くあいさつは生まれない。
あらためてそう感じた自分のあいさつ文だった。
さて、久々に古巣の塾のホームページを見てみると、
最上位の上司(前に私が怒鳴りつけたヤツ)がいなくなっていた。
代わりにそのポジションについたのは他のエリア兼任のエリア長だ。
あまりにお粗末な人事異動ではないか?
辞めたのかな?
お粗末な人事異動の理由を考えるに「急」であったことが想像できる。
おそらくは辞めたのだと思う。
会社組織は大将の首がすげ変わってもなんらの問題もなく動き続ける。
そういう風になっているからこそ、会社として成り立っている面もある。
あのトップがいなくなったらうちはどうなるんだよーなんていう会社でも意外とすんなり生き残るものだ。
私の想像を上回るスピードでもしかすると古巣は変化しているのかもしれない(それでも緩やかだとは私は思うが)。
同時に、やっぱりあの上司の方針では会社の上層部からの支持が得られなかったのだなあと妙に納得している部分もある。
どんな仕事をするにしても、信念を持って従事していきたいものだ。
どうせつらい仕事ならなおのこと、信念の持ちようで心の負担度合いは変わってくる。
当時の私や最上位の上司に足りなかったのは信念だったのだろう。
一つの学びになった「古巣を思い出して感じたこと」でした。
ではまた次回!