晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

3歳年下のキクっちゃん(男性)と18年前に結構遊んだ

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私は名門大学(この大学は、名前を漢字で書けたら受かるにも関わらず問題はムダに難解でして、特に日本史の入試問題で『一遍が踊念仏を唱えながら人々に配り歩いた札の名前は?』という問題にはまいりました。教科書に載っておらず、マニアックな参考書のすみーーっこに小さく載っている程度でよほどの鎌倉仏教マニアか、もしくは時宗のお檀家さんしか分かりません。いや、お檀家さんでも無理じゃね?という感じです。ちなみに正解は『賦算ーふさんー』といいます。わかるかぼけ)

を卒業後

 

自動車販売会社に就職しました。

営業マンです。

 

車は全っ然売れずに

いろいろ心を病み(正確には病んでいないが病む風のしぐさにて上司を説得)一年で退職します。

 

そのすぐあと、

 

私は学習塾にバイトとして入ります。

そうです。

個別指導の講師になりました。

 

24歳の年の出来事です。

 

 

その塾には私の同級生もバイトとして勤務しており

その紹介で入りました。

 

 

その塾は

私の家から徒歩3分の位置に鎮座しているにも関わらず

私はかたくなに車通勤を断行していました。

 

当時の私の愛車は6代目セリカ(最低グレード。ほぼカリーナ)。

丸4灯のヤツです。

 

それを常時乗り回したくてうずうずしていました。

塾の駐車場にも限りがあります。

 

経営者目線でいえば

駐車場スペースを確保するにもかなりのコストがかかります。

田舎とはいえ。

 

塾側からすれば「徒歩で来いや」となりますが

なぜか固い決意で車で毎日通勤していました(通勤時間40秒)。

 

 

ところで

 

その塾の教室長(その塾では校舎長という)

は30歳の女性。

 

24歳の私からすればオバサン。

 

今の私にとって

30代の女性は「若いお嬢さん」

ですが

若いころの感性ってよく分かりませんね。

 

30歳女性をオバサンとは!

プンプン!

 

 

その校舎長の女性は

塾内で「冷徹の女史」

といった雰囲気で塾生・スタッフから恐れられていました。

 

私にとっては単なるオバサンであり

彼女がなんやかや文句をつけてきても

得意の超時空へリクツにてすべて論破をかましてきました。

 

彼女は

論理的なように見せかけて

実は全く論理的ではなく感情的でした。

彼女の勢いにひるむことなく(一瞬たりともひるんだことはないが)

その非論理性をこちらから追求すると

黙るという性質を持っていました。

 

例えば

女性「晩酌さん。なぜ授業中に雑談時間が長かったのですか?」

 

私「生徒の成績が落ち、精神的にかなり参ってしまっているようだったんで

具体的アドバイスを聞いてもらうためにその前のクッションの役割になるかなと思って

雑談を多めにしました」

 

女性「・・・・・・・・・」

 

私「(え?これで黙っちゃうの?もっと突っ込めるやん!!)」

 

 

とまあこんな感じで

要するに

彼女はバイトに口答えされたことがないだけだったんですね。

 

冷徹な雰囲気は

(貴様の回答の正誤はともかく)口答えは許さん!

という予防線の役割を果たしていたのだと思います。

 

 

その塾に入ってから数か月たつと

やがて

校舎長会議(社員のみ参加。バイトは参加せず。)

にて私の名前が出てくるようになります。

 

どんな風かというと

「あの冷徹校舎長女史に立てつくやつがとうとう現れやがった!!」

という危機的な感じでの話題だったそうです。

(この話はもう一人の同級生がたまたま社員にいて、そいつから聞いた

そいつの名はフナト君という)

 

いやいや

全っ然立てついてないから!!

 

ただ論理的に話をしているだけだから!

 

別に彼女の発言を否定したりは全くしていないから!

 

と私は疑問に疑問、

会議でこんなチンケな話題が議題にのぼるなんて

正直この会社大丈夫か?

と本気で思いました。

 

 

しかし

 

その後も

私はその女性校舎長に迎合せず

まっとうな意見を述べ続け

対立し続けました。

(対立は先方の一方的感情。涙。)

 

その後、私は

授業中に小柳ゆきを熱唱したり

生徒から聖闘士星矢全巻を借りたり

(こちらからは『うしおととら』を全巻貸した)

女子生徒全員と仲良くしたら

ある女子生徒から授業中に小声で「死ね死ね死ね死ね…」とつぶやかれたり(今のところ人生ナンバーワン怖い)

松岡という男性講師のことを、そうじゃないのに「修造」と呼び続けたり

 

などなど

いろいろと厄介な人物に成り下がっていってしまいました。

(のちに他社にて私は校舎長女史と同じ立場である教室長となるが

当時の自分がもしバイトでいたらキン肉ドライバーにて粉砕確実)

 

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周りの講師・社員が私と距離をとる中、

 

大学3年生の男性講師

キクっちゃん

だけは今まで通りに接してくれました。

 

彼とは家も近く

彼の人柄もよく

酒が好きなのも相まって

しょっちゅう二人で飲みに行っていました。

 

彼は私と違い

校舎長からの信頼も厚く

塾のエース的な位置づけでした。

 

彼と行った居酒屋やカラオケは

なぜか現在、軒並み跡形もありませんが

私の思い出には深く刻まれています。

 

私はこの塾を1年でクビ(!)になり

それ以来キクっちゃんとは一度も会っていませんが

 

彼のおかげで濃密な一年になりました。

 

 

クビから4~5年ほど経ったある日

キクっちゃんから急に電話がかかってきました。

 

超珍しい。

 

出てみると

 

「フナトさんから生命保険に勧誘されて誰か紹介してくれと言われたので

彼から話を聞いてみませんか?」

 

とのこと。

 

 

ほうほう。

フナト君とは上記にあるとおり

当時の塾の社員。

 

大学の同級生であり

ちなみに大学時代は一度も話したことはありません。

 

バイトしてた塾時代も数回挨拶しただけ。

 

転職して今は外資系の保険会社で営業しているとのこと。

 

そんなヤツが紹介する生命保険なんて入るわけねーだろが。

 

まあ

キクっちゃんの顔を立てて話を聞いてやるか!

 

人柄がよいとこういった良いことが起こります。

 

結局、

フナト君のすすめる保険には入りませんでしたし、

フナト君はほどなくしてその会社からいなくなったようです。

 

 

フナト君のことはともかく

 

キクっちゃんはその後

学校の先生になり大活躍。

 

そのことを数年前に

彼からのフェイスブック友達申請から知るほど

音信不通でした。

 

 

正直

 

今、

彼と一緒に飲んでも

話題も視点も価値観も全く合わないので

心を通わすことができないと思いますが

 

でも

 

それって普通のことと思います。

 

人間

 

生きるステージが変われば

付き合う人間も変わる

 

ごくごく当たり前のことです。

 

逆に

いつまでもジモティーで

小・中学校の友達とおっさんになってもいつも一緒

というほうが異常です。

 

人間は成長するごとに

付き合う人たちは変わる。

 

その当たり前のことをタブー視してはいけません。

 

私の友人に

同級生をプロ野球選手(一流)に持つ人物がいます。

 

しかし

そのプロ野球選手はめったに地元に帰ってこないそうです。

 

まあ

一流プロ選手は忙しいからね

 

と思いがちではありますが

それは違います。

 

要するに

そのプロ野球選手にとって

地元に戻って旧友と語らうことへの意味を見出せないだけなのです。

だから帰ってこないのです。

(何年かに一回は同窓会に顔を少し出すようですが)

 

だって

東京から秋田なんて

新幹線で3時間、

飛行機だと1時間ですよ??

 

日帰りでも行けるやん!

 

それでも何年も来ないということは…。

 

ということにみんな思い当っているだろうか?

 

おい

北中のみんな!

 

石川は石川のステージで生きているんだよ!!

 

 

 

 

とまあ

こんな感じで

当時は超楽しかったキクっちゃんと過ごす時間。

 

今一緒に飲んでも盛り上がらないだろうな…

 

でも

 

ある種の気づきは彼から得られると思います。

 

そんな意味では

 

もう一度キクっちゃんと飲みたい。

 

 

久々にあの塾のことを思い出して

書ききれないことがたくさんありすぎるな…。

 

 

面白そうな出来事を思い出したらまた

書くことにします。

 

今日はこの辺で。

 

また次回!!

 

 

 

 

 

 

 

 

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