一年納めの九州場所が、令和4年も無事に幕を下ろした。
サッカーW杯の陰に隠れ、史上まれにみる注目度の低さだった。
最後は巴戦にまでもつれる優勝争いは大混戦だった。
最終的に、平幕の阿炎(あび)が初めての賜杯を抱いた。
一年6場所の優勝力士がすべて異なるという珍しい年になると同時に
3場所連続で平幕力士が優勝するのは史上初だそうだ。
また、今場所は照強が15戦全敗と31年ぶりの事態に…。
ただ、31年前、板井の15戦全敗は今回とは事情が全く異なる。
八百八町夢日記である(ちがう)。ヤオについて書いてしまうと10万字あっても足りないので割愛。
15個星を売ると、一つ10万円だとしても150万円!立派に大関クラスの収入が…。
いかんいかん。割愛。
ちなみに
割愛:惜しいと思うものを、思いきって手放したり省略したりすること。
単なる「省略」と、「割愛」は意味が異なるので注意だ!え?言われなくても分かるってか!すごいな!
さて、今場所も平幕(前頭筆頭)の髙安が優勝争いに最後まで絡んだ。
というより千秋楽は優勝大本命に位置していた。
しかし、結果は残念だった。
髙安が「優勝の可能性がある千秋楽」に臨んだのは合計7回。
7度のチャンスにすべて振られ続けている。
元大関であり、大関陥落後、今もなおバリバリ現役のトップ力士である髙安だが、
優勝はまだ一回もない。
特に先場所・今場所とほぼ手中に収めていたといっても過言ではない状況でのV逸は相当に悔しかったに違いないし見ているこっちもなんか悔しかった。
「ここ一番での精神面の弱さ」
が指摘されてきたが、優勝が絡む一番になると見るからに体が硬くなる髙安だ。
なぜこうまで狙ったように、大一番で精神面の弱さが露呈してしまうのか?
私は不思議でたまらなかったのだが、愛読書の「嫌われる勇気」の「目的論」に当てはめると解決することに気づいた。
「嫌われる勇気」のなかで、哲人(てつじん)は
アドラー心理学では過去の原因ではなく、いまの「目的」を考える、
と述べている。
例えば、
引きこもりの人は
過去にトラウマになるような出来事があり、外出しようとすると不安が強く襲ってくるため引きこもりになった、
のではなく
引きこもり続けたいから、外に出たくないから、不安という感情を作り出している、
という考えだ。
今の「引きこもり」状態は、過去にトラウマになるような出来事があった故、と考えるのが原因論というのに対し、
引きこもるために必要な要素を自ら作り出している、と考えるのが目的論。
アドラー心理学では過去は関係ない、というスタンスだ。
つまり!
髙安関は精神面のもろさ故、優勝がかかる一番で硬くなるのではなく、
優勝がかかる一番で真価を発揮できなくなるよう、自らに枷をかけているのではないか?
私はそう考える。
もちろん、髙安関が大一番で手を抜いたりだとか、わざと力が出づらい状況を作り出したり、など意図的にやっているわけではないだろう。
しかし、本人の中には大一番で硬くならない以上に大切な、言い換えれば守るべきものが存在しているのではないか?
例えば、
大一番で全力を出し切ったにも関わらず敗北してしまうことへの恐怖。
これを抱いているとすればどうだろう。
万一、全力・実力を出し切ってそれでも負けてしまったら…。
もう優勝は不可能になるのではないか?もはや完全に優勝という目は摘み取られてしまうのではないか?
それよりであれば、
優勝に手が届かないとしても、「大一番での精神面の弱さが出なければ優勝できる」と可能性を残しておきたい。逆を言えば、優勝できないのは精神面の弱さのせいだ。決して実力が劣っているわけではない。
無意識化にでも、そう考えていたら納得できる。
そう。あえて大一番で硬くなるように、本人が選択し、臨んでいるのだ。
一番恐れているのは「全力を出し切ったが、敗北してしまった」という結果なのだと思う。
それだけは避けたい。
そういった思いが、行動に現れてしまっているのではないか?
相撲の実力では他の力士に遜色ないどころか、先述のように幕内でもトップクラスの実力を誇る髙安関。
皮肉にも、その力にブレーキをかけているのが自分自身だとしたら…。
たかが素人の戯言にすぎない。しかし、この記事をぜひ髙安関にチラッとでも読んでいただきたい。
私は声を大にして言いたい。
ファンもそうだが、家族や部屋含め、周囲の人々は髙安関がいかなる時でも土俵上で最高のパフォーマンスを発揮すること自体を望んでいるのではないか?
決して、勝利のみを欲しているわけではないのではないか?
仮に全力死力を尽くして敗れたとて、だれもマイナスな感情は抱かないだろう。
だから、
今度のチャンスでは自ら背負っている心の重しを取っ払ってほしい。
優勝のかかる大一番で、全力で実力を出し切る。これを経験してほしい。
勝敗は単なる結果論だ。
今場所は前頭筆頭で12勝3敗。来場所は三役で迎えることだろう(関脇に上げてやりたいが今場所は関脇二人が勝ち越し…小結も1席しか空いていない…多分小結か)。
まだまだ優勝争いに関わる機会は訪れる。全力を尽くすことの正しさを腑に落としてほしい。
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長女が赤ん坊の頃、体毛、特に背中の毛が比較的多かった。
大相撲を全くと言っていいほど知らない妻が一人だけ覚えている力士がいた。
長女と同じく背中の毛が豊富な髙安関だ。
長女の体を赤ちゃん用バスタブで洗っているとき、妻と私は長女を見ながら「髙安(の背中の毛に似ているね)」などと超失礼ながらも言い合ったものだ。
髙安関を今後も力の限り応援し続ける。
願わくば、大一番での全力の取組を見てみたい。
来年も大相撲をよろしくお願いいたします(誰?)。