5歳長女はおそらく、学力が高くなる素質を秘めていると思う。
すでにひらがなの読みを制覇し、数字も100まで数えられる。
また、私がFirestickのリモコンで暗証番号操作をしているのを盗み見、見事種々の関所を突破しまくっている。
今後は学習の方法と習慣化をどうするのか、課題だ。親の。
親次第で子供はどうとでも育つ。学力は、少なくとも東大に入る程度であれば先天的なハンデはあまり関係ない(健常者レベルでの話)。大きく結果を左右するのはその環境だ。学習を継続する環境に属せているのか?
親の立場からすれば、どのように子供と学習の関係性を構築していくか?
そこには親自身の学習への姿勢が問われ続けることとなることはあまり知られていない。
本を読まずにスマホばっかりいじっている親の子供が読書家になるはずがなく、「めんどうな宿題は午前中に済ませちゃいなさい」という親の子が勉強を好きになるはずがないのだ!これは自分自身に喝を入れたい!
そんな5歳児であるが、現在私がいくら本気を出しても彼女に勝てない競技がある。それは
かるた
だ。
いくら頑張っても勝てない。全く歯が立たない。
もちろん、かるたなど物心つくかつかないかの時以来触れてもいなかった。得意ということもなければ苦手ということもない。ように思っていた。
しかし
五歳児にほぼほぼ完封されるのである!!驚倒至極!!!!!
なぜこんなにも差がつくのか?私はともすれば崩壊しそうになる自我を懸命に保ちながら原因を分析してみた。
5歳長女は読み上げられる際、絵柄の確認を中心に据えているようだった。
文字のみを探す私とは対照的なプレースタイルだ。
例えば
「こぶた こまって こんなかお」
という札が読み上げられた際、長女はこぶたが困っている様子の絵柄を探しているのだ。サブでひらがなも見ているようだ。
一方、私は絵札の右上に記載された○枠内の「こ」の字を懸命に探すのみ。
ここで目当ての札を探しあてるまでのタイムに尋常ではない差が生まれる。
長女が直感的なレーダー探索と言ってもいい精度で絵札を捜索するのに対し、
私(オッサン)は右上に記載されたひらがな一文字のみを頼りに、散らばった絵札を一枚一枚、右から左、そしてその下段に移行しまた右から左…と規則正しく探す。
たまに運よく自分の真ん前に目当ての絵札があった場合、獲得することがある。
しかしその程度だ。
探索する際の情報が絵柄全般、読み上げられた札の読み上げ内容全部がヒントになるのに対し私はひらがなの一文字だけ。これでは差が付くのは当然。
彼女は物を探すときに一貫性がない。視線や探し始める位置、探す順番など様々な事柄が全くのランダムに揺れ動いている様子だ。というよりもはや探していない?勝手に浮き出てくる?そんな印象だ。よくわからん。
いわゆる「周辺視野」、自分の視界近くにあるものを見つける能力は女性の方が発達している。それをこのかるたでまざまざと見せつけられた。
ちなみに3歳次女にはまだギリで勝てる。
そう。
ギリだ。数か月後にはもう私は負けていることだろう。
次女はまだ文字を読むことができないにも関わらずだ。
おっそろしい現象である。
競技かるたの世界で男性は活躍しているのだろうか?
不可能なのではないか?43歳男が5歳女に負けるのに、大人同士の男女でかるたなど自殺行為だ。男の方が。女の独擅場(『どくせんじょう』と読む)である。
周辺視野が活躍する物探し、例えば部屋に散らばったおもちゃ類の中から一つの腕輪を探すなどは我が家の女性陣に、
「あれどこにしまったけな?」と推理がものをいう探し物は私に、それぞれ担当を決めることにしよう。
適材適所。家庭でも実践していきたい。
という雑談でした。