晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

電気代

 

今年の7月下旬~9月中旬あたりまでは歴代最高の暑さだった。

この夏、北東北秋田県は首都圏よりも西日本よりも暑い日に見舞われた。それも結構な日数。

秋田県(とりわけ沿岸の冬期間の氷点下風力)は寒いには同意だが
「秋田は涼しい」は迷信に過ぎない。

 

秋田の夏は涼しくはないし結構東京より暑い日もある。

冬は寒いし夏は暑いし、秋田県のメリットは何なんだろう?

 

まあ、だから消滅ランキング一位を確保できているのだが…。

 

 

さて、この夏、特に8月、我が家のエアコンはほぼほぼ24時間稼働だった。

そう。まる一ケ月以上エアコンの電源が切れるいとまががなかった。

誰か一人は家にいるし、夜はエアコンなしでは寝つかれない。気合でエアコンなしで寝られる人がいるなら実践して見せてほしい。それで体のパフォーマンスを維持し、普段と同じ生活ができるならだ!

 

加えて我が家はオール電化である。しぬ。

我が家の築造以来、ガスという可燃危険な概念から解放されると同時に莫大な電気代を支払うことになった。文字通り。

 

一昨年の冬は月に40,000円もの電気代がかかった。エアコンを暖房として使ったためだ。愚かだった。しかしそれでもオール電化の家庭では金額が少ない方だ。

 

これではいかん…。

そう思いながらもしかし、この夏はエアコンの電源を切ることができなかったし、切ったら切ったでそれは死を意味すると言っても過言ではないほど体調に影響をきたす暑さだった。

 

私はドキドキしながらこの9月を迎えた。

そう。8月分の電気料金が判明するからだ。

結果は18,000円だった。

 

想像の半分以下だった。

 

なぜだろう?

 

これにはカラクリがある。

 

そもそも、電気料金はなぜ高くなるのだろう?

基本料金はプランごとにみな同じだ。どこで電気料金に差が出るのか?

それは「燃料費調整額」だ。

 

基本料金に、使用した分の電力量分の費用がかかる。
しかし、ここからあまり知られていない費用が最後に加算される。

それが燃料費調整額だ(細かく言えば再エネ賦課金もあるが燃料費調整額に比して微々たるものなので省略)。

 

この燃料費調整額は、使用した電力量(kWh)に数円(今年の冬あたりは10円を超えていた…死ぬっつーの)をかけた金額が最後に上乗せされるのだ。

 

この燃料費調整額の「数円(時に10円以上)」は変動制である。厄介な数値だ。

 

オール電化用の電力プランは一般的に深夜~早朝がべらぼうに安く、日中は法外なほど高い。夜に湯を沸かし、保温タンク(エコキュート)にて保存するためだ。
だからオール電化の家庭は日中、家に誰かがいるライフスタイルには合わない。日中は家の外に出て、夜に戻ってくるスタイルが向いている(電気代安い)。ウチには主婦が一人いるためかなり電気料金がかかる。

 

しかしこの燃料費調整額は、電気を使用した時間帯関係なく、使用した量全体に一律でかかってくる。ちなみに今年の冬、1月の燃料費調整額は13円41銭。我が家の使用電力量は711kWh(この数値にビビらないで…オール電化では冬期間にしては少ない方だから…)だ。

だから燃料費調整額は711kWh×13円41銭=9534円!!

燃料費調整額という謎のサブキャラに1万円近くも取られていたのだ!なにやこれ!!

 

さて、

 

8月使用分の電気料金内での燃料費調整額は-12円。は?マイナス??

んなことあんの??

 

国からの補助がこういった形で末端の国民の恩恵にあずかっていることになる。

 

だからだ。24時間稼働のエアコンであっても電気代2万円を下回ったのは!

ウチはオール電化なもので、これにお湯を沸かす(風呂と食器洗い)費用も、すなわちガス代も含まれているのと同義だ。一軒家で4人家族でこれはかなり安い。

 

この先も国よ!補助してくれ!それが正しい金の使い方だと思う!

物価が上がりかなり厳しいこの頃、せめて固定費だけは増えないで…!

そう願いながら、謎の燃料費調整額推移を見守っていきたいと思う。

 

ちなみに、24時間稼働のエアコンの平均設定温度は27℃ほど。

かなりの節約になる。

エアコンの機種や大きさ、部屋の形状にもよるのかもだが、家庭内で設定温度24℃以下にする必要はあまりないように感じる。

 

夏は27℃でオッケイ。

冬はエアコン使わない。暖房器具としての役割は果たさない(温度最強にしても結局床周辺は暖まらない。立った状態で胸らへんから上は灼熱)。

冬は石油ファンヒーター一択。

 

 

エアコンは夏より冬の方がエネルギー使う=消費電力多いのでご注意を。

 

今日は以上です。

 

 

 

電力危機 私たちはいつまで高い電気代を払い続けるのか? (星海社新書) 新書 – 2023/2/22

人と向き合うことだけはしっかりやってきたように思う

 

昨日、中学・高校の同級生(43・男)と家飲みをした際
「厄介な部下」の話題が登場した。

 

彼が店長を務める店舗での女性部下のふるまいが傍若無人なのだという。
なんやかやで、その部下に悩まされていることを私が彼から聞いてすでに年単位の時間が流れている。

 

結局、近隣の他店舗に異動する流れになりそうだと彼は嘆息交じりにこぼした。

 

彼を批判するつもりは大いにあるないが、手を打たずにいると悩みは年単位で残り続けることになることを改めて理解した。勉強になった。

 

職場での悩みはほぼ100%人間関係の悩みだ。アドラー心理学の本「嫌われる勇気」で人間の悩みはすべて対人関係の悩みであると言われている通り、職場での悩みも例外ではない。

 

嫌いな上司がいる、同僚とそりが合わない、周囲の人々から嫌がらせをされる、などなどこれら人間関係の悩みを解決する方法はただ一つだと私は思っている。

それは、それらの人々と

向き合うこと

に他ならない。向き合うことでしか解決しないのだから、向き合うことなくなあなあにするすなわち問題が発生し続ける状態になるということだ。

 

人と向き合うには多大なエネルギーを必要とする。身体的な面もさることながら精神面での消耗が激しくなる。

しかしそれを避けて通れないから問題が発生したままになってしまう。
勇気を出して当事者と向き合って最終的に直球をぶつけ合う。人間関係の悩みを解消するには、正確に言えば解消せずとも終わらせるには今すぐ向き合った方が(様々な面での)トータルコストは低く抑えられる

 

自身を振り返ってみると、しまいにはしっかりと人と向き合ってきたなぁと感じる次第だ。

例えば職場にいた変なおばはんとは(すんげーイヤだったが)ヒザを突き合わせて話し込み、退職の合意に成功した(後ほど雇用保険の関係でおばはんがゴネたらしく本社から怒りの電話が舞い込むのだがうまくかわす。ゴネに対応するのが本社の仕事だ。俺はあとはしらんの精神で乗り切った。乗り切ったのか?)。今思えば解雇してもよかったのではないかと思うしその証拠をしっかりと記録することも大切と学んだ。

 

アルバイト従業員も何人かクビにした。すべての事案において当事者と一対一で話し込んだ。しまいには納得して(彼らは納得せざるを得ないほどやらかしているのだが)辞めていった。

 

横暴なおっさん社員にもしっかり言葉をぶつけた。このおっさんは知能犯のため私からの一対一の話し合い要請に応えなかった。だからメールで言葉をぶつけてその様子を全社員cc送りにて、公開処刑を行った。社内は騒然となった。

 

上司とも向き合った。私のそれまでのキャラ上、私がはっきりと意見を述べるだけで拒否反応を示していたが構わず直球で言葉を投げ込んだ。関係性は悪化したと言えるかもしれないが、とりあえず上司との人間関係の悩みはなくなった(お互い干渉しなくなった)。

 

顧客ともしっかり向き合った。主にクレーム対応だ。誠心誠意謝罪した。思えばキャリア前半は謝ってばかりだったなぁ…。

金払わない顧客とも向き合った。年に数回、催促の電話をするのだ。退塾して10年以上経つ元顧客に電話する神経を私は持ち合わせていなかったがとりあえず決まりなので電話し続けた。今思えばさっさと少額訴訟を起こすべき案件だったと思う。意外と不払い件数って多いのね、と学んだ。司法書士に依頼すればすぐに終わるはずなんだけど!。

 

職場が塾の関係上、生徒たちともしっかり向き合った。一番つらかったのは高校生に対する「この大学は無理だよ(だからランク下げてその中で最良の大学を見つけよ)」宣言だ。無理だよじゃなくて可能性を探れとよく当事者(特に保護者の方)からは言われるのだが、こと国公立大学受験は短期間では対応できない。人間の学習許容量を優に超えているからだ。5教科7科目を数か月で4割→7割にすることは私には不可能なことだった。可能な塾があったら全員そこに通った方がいいしノーベル賞もらえるんじゃね?その塾。

 

頑張って結果が出ているにも関わらずなぜか不安がる生徒への対応はカンタンだった。
「問題ない。このまま進め」で済む。それでも不安なんですと言ってくるので(特に女子生徒!)「問題ない」を連呼し続けた。あまりにしつこい生徒には最終的にヒザを突き合わせて「君は合格する。私は確信している。その確信しかない。だから(不安なんですぅー吹聴的な)無駄な時間を使わない事」で不毛な時間を粉砕していった。ふつうに合格するとただただ思っていたのでそれを伝えただけなのにいざ合格すると「先生のおかげです」とこう来る。誇張なしで私は何もしていない…。

 

 

 

ネガティブな内容であれ、ポジティブな内容であれ、人と向き合うことで解決する事象は多い。というより向き合わなければ、言い換えれば逃げずに真正面から言葉を交わし合う場を作り実際に言葉を投げ合うことをしない限りは特に職場の問題はいつまでたっても解決しない。終わらない。

 

人と向き合うということは横綱相撲を取るということにも似ている。
そう。まずは相手の意見を自らの胸で受け止めることから始まるからだ。

相手の意見をノーガードで受け止められる人は実はかなり少ないのもしれない。
人間には思考の偏りが多少なりとも存在する。それぞれ固有の概念があり、「言われなくてもこうすべき」という考えが根強いのが普通なのかもしれない。

その「普通」を乗り越え、自分の中だけの常識から一歩外に歩み出し、他者の未知なる世界観に触れる、そして受け止める勇気。

 

問題解決(もしくは問題発生の終了)を目指すために、相手と向き合ってみよう!今回はそんなお話でした。

 

 

髙安関は残念だった…。一方八百八町!!怒!!

大相撲秋場所も先週、幕を閉じた。

優勝は見事な変化(皮肉)で勝ちをもぎ取った貴景勝。11勝4敗という珍しくレベルの低い優勝ラインだった(ガチンコが増えた証拠ともいえる)。

さて、われらが髙安関だ。

千秋楽は「勝てば優勝決定戦」という一番だった。

結果は残念ながら負け。

私が前々から睨んでいた通り、お手本のようにガッチガチに固くなった髙安関の様子を見て私は本当に気の毒になった。

もしかするとこの秋場所が優勝のラストチャンスだったかもしれないと考えると特にだ。

 

以前も述べたが、髙安関は大一番で「自ら」固くなるように暗示のような状態にかかってしまっているのだ。これを克服することは困難だと今回の敗戦を受けて私は感じた。

 

同時に、髙安関は八百八町とは無縁であることも証明されている。よかった。

来場所以降も雄姿を拝見し続けたい。応援しています。

 

 

さて、ガチンコ力士もいればそうでない力士もいる。

この先は完全なる私見であることを最初にお断りする。どうか冷静にご覧いただくかこんなブログと縁を切るかどちらかをおススメしたい。

 

大関の千秋楽の一番は八百八町夢日記だった。7勝7敗で迎えた大一番、新大関が負ければカド番、勝てば勝ち越し。この1勝の差はあまりに大きい。さぞかし熱の入った相撲になるだろうと楽しみにしていたが、まさかの八百八町。

具体的には、

大関のもぐりこみがゆっくりだということ=相手が新大関にまわしを取らせること前提の取り組みであることが読み取れる。

また、お互いが組んだ後、新大関が相手の足を刈りにいった。それで相手が後方へ倒れこむことになったのだが、この倒れ方がまたわざとらしい。北青鵬ほどの力士があの程度の内掛けからの渡し込みで真後ろに背中からべったりと倒れるものだろうか?

せめて少し腹ばい気味に横に体をひねるのが力士の本能なのではないだろうか?

 

モ〇ゴル互助会の存在がまことしやかにささやかれてはいるが、これでは本当にそんな概念があることを証明してしまうのではないか?非常に残念でならない。

両力士の指導者、立浪親方と宮城野親方の管理監督にも問題があるように思う。特にあの親方。

 

この取り組みを見て、八百長の撤廃は不可能だということが分かった。今後は八百長の取り組みを見つけることに楽しみを見出すか?

もちろん、ある程度の実力があっての八百長ではあるが、こうもあからさまだとがっかりする。とても大人の表現とは言えないが、本当にガッカリする。

 

大相撲を見る人は全員貴闘力チャンネルを見て勉強してほしい。切に願う。

 

 

 

以前までの私なら、11勝4敗なんてレベル低すぎるぜ!何やってんだ今の力士は!

などとアホのように叫んでいたと思うが、今は違う。

 

そう。八百八町夢日記だったからだ。だから高レベルな成績での優勝が続いていたのだ(貴乃花とか一部ガチンコ力士はガチ中のガチ。だからすごい。)。

思えば、大乃国横綱昇進後ほとんど相撲を取らぬうちにケガで引退してしまったがあれもガチンコ力士ゆえだ(正確には途中からガチになったとのこと)。その事情を知らない以前の私は大乃国に対して否定的な見方をしていた。愚の骨頂である。

 

優勝回数をいくら伸ばしても、連勝をいくら伸ばしても(阻止したのはガチンコ力士である稀勢の里だ!!)夢日記だったら何の価値もない。結果良ければ何があろうと全てよしとするお国柄なのだろうか?やめてほすぃ。

 

貴景勝は成績(11勝と勝ち星が少ない)ではなく、優勝決定戦での相撲内容(変化)の観点で来場所の綱取りは厳しいのではないか?全勝優勝やそれに準ずる成績で、抜群の相撲内容なら別だが。

彼もまた、目先の優勝と引き換えに失ったものも多かったに違いない。事実、優勝インタビュー時の観客席の湿っ気っぷりと言ったらなかった。あれほど盛り上がらない優勝インタビューは見たことがない。ガチンコ力士だけにもったいない。

 

来場所は一年納めの九州場所。一所懸命かつ、興行だからこその見せる相撲も期待したい。見る方は気軽になんでも言えるのだがね…。

照ノ富士が戻ってくるまで、まだ髙安にもチャンスはあると思っている。

 

応援し続けたい。

 

 

以上です。

面談力のなさを克服した思い出

 

 


塾時代、キャリアの前半は苦戦していた。

何に苦戦していたかというと、「面談力」においてだ。
保護者や生徒との面談で、私の話す内容が相手に響かないのだ。伝わらないと言ったほうがいいかもしれない。

しかしキャリア後半はそれを見事に克服し、晩年は教室長である私の面談を目当てに入塾してくる人も少なくなかった。塾は口コミが命と身にしみた経験でもあった。

 

余談だが、キャリア晩年は「今年で辞めてやる」と決めていた。だから後任社員のためになるべく「自分色」を出さないように最後の一年間は色々なことにあまり出しゃばらないように気をつけて、影に徹するように心がけた。
にも関わらず教室長(自分)の噂が近隣の中学高校の一部に響き渡っていた。さすがに保護者・生徒面談だけは自分でやらねばならなかったからだ。

そう考えると、塾はその長の能力ですべてが決すると改めて思う。塾長が無能で講師が良くできた塾は避けたほうがいいだろう。逆なら大丈夫。塾は塾長次第で輝きもすれば漆黒に塗りつぶされることもあるのだ。

 

さて、面談力に悩んでいた時代の私が入塾面談で最初に話していた内容がある。

どうすれば成績が伸びるか?という生徒・保護者からの問いに対する答えだ。

私は決まって

「毎日欠かさず勉強してください」

だった。

そう言い放つと必ず保護者・生徒からは落胆もしくは怒りの表情が浮かぶ。そりゃそうだ。そんなことは言われなくても分かっている。
そうではなく、塾ならではのノウハウを聞きたいのだ。
そういったメッセージがその目からはありありと発せられるのだった。

 

稚拙だった。ただただ私の発する言葉が稚拙だった。そんなんで相手に響くはずがない。私はその後何年もの間、自分の面談力の無さに苦しむことになる。

 

ある年、直属の上司が変わった。新しい上司は死に体だった他の教室を流行りに流行らせた実績がある。新上司は「横について俺の面談を見て勉強しろ」と保護者との面談を私に見させた。

 

面談が終わると新上司は「な?お前とは違うだろ?お前の面談と俺の面談、どちらが保護者の支持を得られると思う?」

 

正直なところ、新上司の面談内容に特筆すべき点は見当たらなかった。むしろ私のほうが学習に関する役立つ深い部分まで話ができると感じた。しかし実際、その薄っすい面談で新上司は過去に塾を流行させた実績が確かにある。

 

何が違うのだろうか?

 

私は思い悩んだ。新上司が担当した入塾面談を経て入塾した生徒への、新上司の対応を見て私は気づいた。

生徒によく気を配って話しかけていたのだ。結構な上から目線(新上司が50代という年齢もあるので成立する)での言葉がけだ。でも生徒は新上司と話すことで徐々に信頼を寄せるようになってきている。

 

などなど強引に気づきを得ようとして上記のようなことを考えたりしたのだが、結局は特別なことは何一つ新上司はしていないのだ。だた一つ、私との違いは

自分の話を押し通す

ということだけだった。
押し通す、というと語弊があるかもだが要は新上司自身の発言にブレがない(ように見せる)ことが大切。自信をもって(いるように見せて)生徒と接する。これが生徒が信頼を寄せる入り口としていることを学んだ。

 

そこからの私の面談力は上がっていった。この新上司とは(とも?)いろいろあったがこの学びを得られたことは感謝している。(でもいろいろあったね。まあいいや。)

しかし面談力で悩んでいたキャリア前半同様、入塾面談では相変わらず「毎日勉強しましょう」を発言しまくっていた。ただ、以前と違うのは「なぜ毎日勉強せなならんのか」を納得感をもって説明できていることだと今振り返ると思う。

 

なんとかの一つ覚えのように「毎日勉強せえ」と唱えると同時に、「逆に、思いついた日に勉強する程度で成績が上がったお子さんはいらっしゃいますか私は一人も知りません」

「あなたが所属している部活のレギュラーメンバーで、気が向いた日にだけ練習している人はいますか?」

「あなたの志望している学校に合格した人で、毎日勉強しなかった人はどれだけいると思いますか??」

などとビーンボール級の質問をバッシバシ放り込んだ。当然相手は何も言えない。

 

私はさらにこう続ける。

「毎日勉強することは全っ然特別なことでもなんでもないんです。」

「毎日勉強は単なる入り口に過ぎません。ディズニーランドのゲート通らずしてディズニーランドに入れないし楽しめませんよね?」

などと会社の研修で一回しか行ったことのないTDLについてさも知っているかのようにしゃべるのも優秀な教室長としての役割である(たわけ)。

 

 

その後、私は保護者・生徒に向かって決まってこう伝える。

「毎日勉強は誰でもできるようになります。あなたも必ずできます。明日から毎日ウチの自習室に学校帰りに通ってみてください。やってみますか?」

これで9割以上の生徒は「はい」と答える。ごくまれに「いや、やりません」と頑なな拒否をぶちかます生徒さんもいるがそこは私の不徳の致すところ。他塾で頑張っていただければ幸いだ。

 

入塾面談で掴んだ生徒の心はその後の学習指導に直で活きる。もともと学習指導には自信があり、その内容も質の良いものという自負もありまた、そうこうするうちに生徒たちの行動とそれに伴う結果がついてくるともう保護者からすれば塾様々である。

 

細かく言えば、市場からの支持を得るためには各学校の情報収集を徹底的に行うことなどが必要になる。
例えば秋田高校の生徒が夏期講習前に入塾面談に来たときに「秋高の講座(夏期補習のこと)は日数が多いよなー」などとナチュラルに言えば「え?なんでそんなことまで知ってんの??」と相手の目線が変わるし南高校志望の生徒には「入学式の前に百人一首ぜんぶ覚える謎の宿題出るから気をつけな。毎年の伝統な(現在は廃止)。」などと付加情報を提供することもできる。
全ては通ってくれている生徒たちとの対話から得られるものだ。当然、学習指導にも役立つ。めっちゃ。

 

ときには本気で他塾を勧めるときもある。まあ、大体がこちらでお預かりするのが厳しい(預かったら無用なトラブルが発生することが目に見えている)場合だが中には通塾距離や志望校の関係で他塾のほうが結果を出せると確信するときがあり、その際は躊躇なくその理由とともに他塾利用を促す。

 

そんなことをやっているうちに私を名指しで指名してくるご新規さんが増えていった。ほぼ100%塾生からの口コミだ。大規模教室でこういったことはあまりないのではないかと勝手に思っている。小規模教室だと結構あるんだけど。

 

 

こういった経験から、自分の考えを押し通すことへの罪悪感が消えていった気がする。もちろん、常に自分の考えが正しいと盲信することは愚かなことではあるがそうではなく、ちょっと他者から反論があったときに無条件降伏するようなことはしないようになった。その他者が誰であれ。

 

根拠を持った考えは押し通す、というかきちんとその理由を説明する。相手に伝わるように自信をもって伝える。これは社会で生きていく上で役立つ。役立たないことなどないしもしかして必須の能力なのではないかと思う。

 

 

今一度自分への戒めとして今回の記事を上げます。ほんの一部分でも参考になれば幸いです。

不誠実な塾はつぶれると学んだ

 

前職の学習塾勤務時代

ある日、我が部署にて「他塾調査」をすることになった。

 

同業他社のシステムや方針を調べたり内部の「人」に実際会って話してみたりして
各塾の特徴や攻略法を見出すのが目的だった。

 

地区内の塾をピックアップし社員それぞれの担当塾を決め、
実際に各塾に電話でアポを取り「客」として訪問し、実際に対面にてそこの塾のスタッフと話をする。
自分の子供の名前で予約するならまだしも、学齢期ではない子持ちやそもそも子供のいない社員の場合は親戚や仮想など子供をでっちあげなければならなかった。

 

そういった多少面倒な流れでもってこの他塾調査は進められた。行くのメンドかった…。

 

私が担当したものの一つに秋田県初進出の中堅規模の塾があった。
関東圏を中心に展開しており、北東北くんだりに出店など珍しい。
メンドい調査ではあったが、多少の興味を持ってその塾に(面談予約のための)電話した。

 

 

大手塾あるあるなのだが、飛び込みで面談に来る若い人はだいたい「他塾調査」だ。私も何度もそういった他塾調査と思しき人たちの対応を経験した。
自身の対応を振り返り、
他塾調査とまる分かりの人、言いかえれば商売敵へどうに接するのか?
その塾の度量をはかる基準になりうる。しかも大いになりうる。私はそう感じている。

 

私の塾のライバルは同業他社というよりは自分の会社の本社ということができた。
普段から同業他社に客を取られるということはあまりなかった。

むしろ本社から提示される数値目標(売上とか)の達成が一番きつかった。なので正直他塾のことなど考えている暇はなかった。
今現在十分に集客できている中、さらに無茶振りされる本社数値にどれだけ近づけるか?そういったくだらないことに振り回される日々だった。

 

そういった状況・立場だったので他塾調査が自分のところに来ても慌てたり嫌悪感を抱いたりといったこととは無縁だった。
むしろ「どうぞ心ゆくまでうちの塾を見ていってください。ご質問にもなんでもお答えしますよ」というスタンスだった。そして無駄に丁寧な接客を商売敵に施していた。

おそらく相手は驚愕しているか、もしくは「手の内をさらしおってバカめがヒッヒッヒ…」などと思っていたに違いない。

 

正直、手の内をさらしたところでそっくりそのまま真似できるとは思えないし、真似されたとて同じ効果を得られるとも思っていなかったので全くのノーダメージだ。

むしろ「あなた方にも早く力をつけていただきこの地区の塾を盛り上げていきましょう!」と半ば本気で思っていた。
そういった思想のもとの「クソ丁寧な対応」だった。

 

 

さて、くだんの秋田初出店の塾に訪問する日となった。業務時間内で済ませなければならず、しかも塾は夕方から夜にかけて仕事のピークとなるため日中の早い時間にアポを取る必要がある。しかも大体の塾は夕方近くから開きやがる。

私はその日、午後三時に予約を入れ訪問した。それほど大きな店舗ではなかったので塾に入った瞬間にスタッフがお出迎えしてくれた。大学の同級生だった。

 

その瞬間、その同級生は営業スマイルを消し、真顔に変わった。ずっと真顔のままだった。私の塾のホームページには私の名前が載っている。当然、事前に周辺塾の情報は確認していたことだろうし、同級生が塾で働いているなら目につくことは間違いない。私が他塾調査で訪問したとわかったのだろう。ってか分からなければちとまずいしね。

 

一応、面談の形は取ったが話は弾まなかった。私がいろいろ質問しても上の空だ。こちらの手の内を晒してなるものか!そういった強烈な意志をその態度から感じ取った。

私は以下の2つの点から「この塾はポシャる」と判断した。

それは

①敵に手の内を一切さらさないドケチ根性

②こいつは友人から一万円借りて返さずに卒業した(死)

だ。

 

要するにこの同級生の人間性がずば抜けてよろしくなかったのだ。
絶対につぶれる。私は確信した。

後の社内会議でもこの塾のことを報告したが、「この塾はつぶれます。以上。」といった感じだった。上司は「ふざけんな」といったがそれしか言いようがなかった。続けて上司は「(普段マジメな)お前がそういうんならそうなんだろうな」と言った。幸い(?)予言は的中した。ある日突然同級生が飛んだらしい。現在その塾の跡地には金券ショップが入っている。その物件には二度と塾は入居しないのではないか…。

 

 

訪問から数ヶ月ほどたち、その塾のチラシが手に入った。
昨年度の合格実績が載っていた。それによると

・慶応大学 40名

・MARCH 50名

・国立大医学部 10名…

などなど錚々たる実績だ。これはなんの数値なのだろう?

 

秋田県全体で見ても、慶応大学に合格する人数自体40名より少ないはずだ。なのにこの塾はこの店舗単体で慶応に40名も合格させた???

関東にある本社ほか全店舗合わせた数値なのだろうか?ってかそれしか考えられない。しかしチラシには「秋田教室の実績です」って書いてあるしな…。

この疑問を解明すべく、その同級生に電話して(そいつの電話番号知らんので塾に電話。)飲む約束をとりつけた。私一人だとつまらな死にするので同じく同級生二人ほどを誘い飲んだ。

そこで私はそいつにこの合格実績の疑問をぶつけた。江川の真っ直ぐである(体感160km)。

「あの合格実績って全国ぜんぶ合わせてのもの??」

すると「秋田だけのものだ」とのたまった。その時点でもう詰みだろ(そもそもその塾に40人も高校生が通っているはずがない小規模店舗)…。

何度聞いてもそれで押し通そうとするのでしかたなく普通に飲むことにした。

その飲みの日から程なくしてそいつの塾の合格実績は大幅に下方修正された。わかり易すぎるだろ…。

 

その数年後(数年はもったんだ…)、その同級生は突然無断欠勤をぶちかまし、程なくしてその塾は閉鎖された。ということを、その塾からウチの塾に移ってきたアルバイト学生から聞いた。

そうだよなと思った。だって学生時代ネズミ講に誘っておいてなんの謝罪もないんだぜ…。金も返さねーし(それは俺じゃないけど…)。

 

 

小学生や中学生・高校生という子どもたちを相手にする仕事に就いているからには子どもたちに言い訳のできないことはしない。これは鉄則だと私は思う。合格実績の水増しなどもってのほかだ。ってか、当時通っていた生徒さんたちはその合格実績を見てどう思っていたのだろう…。かわいそうだ。

慶応に40名という天文学的な数値を表明する時点である意味ギャグ路線を突き進もうとしたのであろうか?分からなすぎる…。

 

その中堅塾の経営陣が愚かだったと言わざるを得ないが、人材採用には慎重を期すべきと感じた出来事だった。あれ以来、その同級生の消息(しょうそこ)は当然、誰も知らない…。

 

以上、金返すこととねずみ講には誘わないことを学んだお話でした(そうだっけ?)。

ここ半年ほど健康気味な原因を探ったので報告します

 

この頃、寝込むほどの風邪を引くことがなくなった。

 

少し前までは月イチレベルで風邪の高熱に侵され寝込んでいた。
子供から伝染していたためだ。

しかしここ半年ほどは風邪という風邪を引かなくなった。

なぜだろうか。

検証の結果、トマトを継続的に摂取しているからとの結論に至った。
皆さんにもぜひトマト食いを推奨したい。

 

さて、私はどの程度のトマトを食べているのか?

それは一個/一日だ。

スーパーで売っているMサイズかLサイズ。

これを一日一個、欠かさず食べている。これにより風邪ウイルス保持者になったとしてもそのあからさまな発症を抑えられている。

ここ半年での大きな変化はトマトの継続摂取だ。

何がなんでも一日一個のトマト食いを死守している。
野菜不足になりがちな現代の食生活。トマトが赤くなると医者が青ざめるの格言のもと、それを信じ食い続けた。結果、風邪をひかなくなった。すげー。

 

私の経験上、ミニトマトではここまでの効果が出なかった。普通の一個ままのトマトをおすすめしたい。
トマトは現在、一個100~150円ほどでスーパーで買える。仮に一日150円かかったとて月に4,500円。安売りのスーパーが身近にあれば月額3,000円で風邪からおさらばできる。かなり安い投資と感じる。

風邪で寝込むと出費がかさむ。病院代や薬代、脱水症状回避のためのスポドリ、普段食わない高そうなフルーツやここぞとばかりに精をつけようと目にするウナギなどなど。

それだけで数千円が吹っ飛ぶ。月に一回程度数千円が吹っ飛び、かつその期間の経済活動(仕事)ができなくなるデメリットは計り知れない。私はこれまでこの風邪寝込みを恐れ、それと対峙してきた。
しかしもうその必要はないのだ。だってトマトを毎日たべているんだもん。

 

私はトマトを食べることを"一つのタスク"として受け止めているため、毎日同じ味でも食べ続けることができるが、多くの方々にとってそれは難しいと思う。
なので工夫してトマトを食べ続けられるように食べ方をアレンジしていきたいところだ。

私はトマトをスライスし、ドレッシングをかけるだけだ。居酒屋で出てくる冷やしトマトみたいな。

たまに塩を少量ふり、マヨネーズを細っそい注入口からババっとちらしてオリーブオイルをかける。その上からパセリの粉末をふりかける。正直パセリには味も香りもない。だって瓶に入っているやつ(コショーとかのやつ)なんだもん。彩りである。なくてもいい。

それでいける。晩酌時のお通し的な役割を担わせると続けやすくなるのではないだろうか?あとはサラダチキンを薄切りして挟んで食してもよいだろう。メンドイのでやらないが。

現実的な工夫としては、ドレッシングに異常にこだわるを推奨したい。
トマトにはどんなドレッシングにも合う食材ということに最近気づいた。
高額な意識高めのドレッシングを試してみてもいい。ドレッシングはかけるだけだ。メンドくない。

そう。この「メンドイ」が継続を困難にさせる。だからトマト食い継続の極意は

トマトを買ってくる→野菜室で冷やす→食うときにまな板の上でスライスする→なんかかける→ウマー

をルーティン化させることなのだ!!

 

火を通したトマトでも良いのだろうか?私はやったことがないのでわからない。
そのまんま火を通さずまるごと食すのが無難だと感じる。湯剥きしないでね。

なんというか、うまいまずいのレベルではなくあくまでタスクだ。淡々とタスクを消化していきたい。そうすれば風邪よサラバなのだ!!

 

ぜひお試しください。今日は以上です。

入試応援という謎のシステム

 

前職の塾時代、入試の日にスタッフたちが各学校に散らばって
受験しに来る生徒たちに向かって激励の言葉を投げかけるというよくわからん行事があった。

 

何がよくわからんかというと
受験生が入試当日朝に塾の先生に会ったところでどんな効果があるのか?という点だ。

塾は昼から深夜にかけての仕事で、一般的な勤務時間よりちょっとヤクザな(遅めな)商売だ。

正直、塾スタッフの立場で言えば入試応援のために早朝から受験校に出向くのはかなりの負担だ。当然その分の早出残業代も出ない。

もっと細かい話をすれば、受験する高校や大学側からすれば塾関係者は完全なる部外者だ。
これが学校の先生となれば話は別だ。学校の先生はれっきとした「引率者」としての身分が保証され、受験校の中に物理的に進入することができる。塾スタッフが学校に進入しようものならば即御用だ。

だから、塾スタッフは入試応援の際に校門の前という治外法権下の領域に鎮座することになる。これがまたキビシイ。なにがキビシイかというと、屋外だからだ。秋田市の冬は厳しい。風がハンパないからだ。吹き付ける雪に凍る体。コートの下に幾重にも重ね着した服たちも役に立たず凍えるばかりだ。

その状態のまま、数時間(最長4時間以上)マイナスの気温の中立ち尽くしているのだ。

拷問である。誇張なしに死者が出てもおかしくはない。

そんな中、生徒たちが受験会場に到着する。私達を見つける。「なんでいるの?」と喜んでくれる生徒もいるが、だいたいがクールな反応だ。「頑張ります」「いってラッシャイ」などの淡白なやり取りが多数を占める。

これで何が変わるのか?反応がクールであれ、ウォームであれ、受験会場に到着した時点で自分との戦いなわけだ。誰が自分の応援に来てくれたかは一切関係ない。

むしろ依存心の強めな受験生は心が緩んでしまうのではないか?私は前職時代ずーっとそんな疑問をいだいていた。

 

そんなこんなで私も前職を辞し、ほどなくしてコロナ禍に突入する。

古巣の塾では現在、入試応援を行っていない模様だ。このご時世しょうがないことなのかもしれないが、こうもすっぱりと入試応援制度が廃止される(古巣の塾は入試応援の際にその様子を写真に収めHPにアップしている。それが一切なくなった。写真撮ってる時間が生徒にとって全く無駄というか時間を奪う行為であることも疑問)。

見事な入試応援制度一斉廃止のウラに見え隠れするのは結局、みんな入試応援メンドイという思いではなかろうか。

非常に中途半端だ。突き詰めればみんなイヤイヤ入試応援に行っていたに過ぎないのだ。ボケが。生徒の心を惑わしてんじゃねー!

 

一度、私がある男子生徒を激励している場面がニュースで報道されたことがある。
高校入試や大学入試の日は校門前に報道各社のカメラクルーが集結し、各自ほしい画を撮らんとやっきになっている。

特に、大学入試に応援にくる塾関係者は当社しかなかったため、大学入試の日はだいたい受験生が校門を通過していく様子が映し出されるのみだ。

しかし、当社は違った。大学入試で唯一校門前に群がる奇特な塾だった。そんな中、一人の男子受験生が通りかかった。私が心配していた生徒だ。成績は、数値上はボーダーに達していたがその上昇スパンが急であったため実力なのかどうかがいまいち確信できなかった。俺の一言で一点でも変われば!!の一心で声をかけた。「よし!行って来い!!」生徒の肩をぽんとたたき送り出した。その様子が私の顔面とともにNHKニュースに流れた(受信料未納継続中)。非常にかっこよかった。

が、その時私は気づいていたのだ。あのカメラ、確実に俺のところに来るねと。それこそ確信していたのだ。

そう。

私はそのとき、役者バリに男前の声で生徒を送り出したのだ!!!

バリバリカメラを意識していたのだ!!!

私の役者デビュー作である。NHKでデビューさせてもらった(未納)。

 

その後、その男子生徒は見事大学合格した。私の応援など必要ないほどぶっちぎりの点数であった。

 

はい。入試応援必要ない。

 

以上です。