晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

新築一軒家、この住宅販売会社にした理由

最初の来店から工事開始まで約1年の時を要した。

 

約五年前、家を建てたようとしたときのお話である。

 

 

ある日の日曜、チラシの広告でたまたま目に入った

「モデルハウスを見に来たらビール6缶あげますよ」

にまんまと釣られ、モデルハウスを見に行った。

 

正直、その頃は子供も生まれておらず冷やかし8割だった。

それまでもモデルハウスなど見学したことがなく、家を買う、という目的での見学は初めてだった。

(正確には自動車販売の営業をしていた23歳の時に、営業の勉強のために『AKTハウジングセンター』を訪れたことがあった。結婚どころか彼女もいない見た目大学生の私に後追い営業を自宅にかけてきたこの担当者の営業手法は、全くためにならなかった…)

 

初めてまともに見学したモデルハウスはめちゃくちゃかっこよかった。

 

通常、モデルハウスは各メーカーが「気合を入れて」建ててくるので、一棟1億円以上かけるものもあるほどだ。

しかし、その時私が見学したのは建売住宅。最終的には誰かに売るための家だ。

 

ハウジングセンターのモデルハウスはさすが1億かかっているだけあってでかいし広いし建材も豪華すぎる。

あまり「実際に建てる家のイメージ」には適さない素材だと私は感じる。

 

しかし、建売住宅の見学は、「実際に売る家」の中を見ることができる。消費者にこれほど参考になることはない。

 

私はこの時見学した家をベースに、家の中身のイメージを膨らませていくことになる。

ちなみに、当時のモデルルーム(リビング)の写真がこちら。

 

 

何やらめちゃくちゃかっこいい。

家具や吊り棚の上に乗っかっているものはメーカー用意なので考慮に入れない。

それでも。このシックな装いはなんだ。良すぎる。

 

結局、この後、数か月かけて8軒ほどのメーカーを回るのだが(もう7,8軒目の時はただただダルかった…)、この建売住宅を超える家は現われなかった。もちろん、気合を入れた建売住宅もあるにはあったが、ちょっと現実的なお値段ではなかった。現実的な価格と「すげーいい」が釣り合っているのが、写真の家だけだった。

 

ちなみに、写真の家の価格は現在住んでいる家より2割ほど高め。敷地の広さの影響だ。若干スケールダウンすれば十分な家が建つ。

 

 

ところで

家を建てるために重要なのが「土地選び」だ。

正直、モデルハウスや建売住宅のオープンハウスを見たところでメーカーの技術力の違いは分からない。というより、技術力の違いはないに等しいのだという。

 

例えば、上記画像の部屋をそっくりそのまま作ってくれ、とどのメーカーにお願いしても可能なのだという。

じゃあ、何が違うの?となると、当然「営業マンはじめスタッフの質」と来るのだ。

が、

もっと現実的な、直接金銭に関わる事柄がある。そう。それが「どんな土地をその住宅販売会社は抱えているのか?」だ。

私たちは、住宅販売会社が抱えている土地をもとに、建てる家の広さからいろいろを決めることとなる。

 

家を建てる技術ではなく、どこにどんな、いくらで買うことのできる土地があるのか?

これにより、建てる住宅販売会社を決定するのだ。

 

 

初めて見学したモデルハウスには、新人の営業マン青年がいた。

二年目だそうだ。専門学校を卒業後、住宅販売の営業職に就いたとのことだ。大変だね。

 

初夏の日差しの強い時期だったが、モデルハウスの二階、ノーエアコンの部屋に通され、何やら説明された。が、暑すぎて話が入ってこない。

その後、上司と思しき人物が「下(のエアコンきいているリビング)で話したら」との指示でようやく涼しいポジションの確保ができた。

しかし、今度はその新人君が何もしゃべらない。そうか。上司がそばにいると力が発揮できないタイプか。気持ちはわかるがあのクソ暑い空間に閉じ込めるのはやめてくれよー。

 

帰り際、様々なパンフ(鬼のようにデカくて重い)と約束通りビール6缶(しかもロング缶だ!)を受け取った。小躍りしたくなるほど嬉しかった。

のちにこの会社で家を建てることになったのだからものすごいコスパの高さだと私は思った。ビール6缶。

 

 

帯同していた妻はこの新人君をいたく気に入った様子だった。

確かに、私も「おそらくこの会社は新人君に最初の一棟を売らせたがっているはずだ。だから、多少の値引きの無理は聞いてくれるだろうクックック…。」とほくそ笑んでいた。

 

 

さて、

この先何か月かの間に何度もこの住宅販売会社にお邪魔して商談を繰り返したが、とにかく良い土地が見つからない。何個か候補があったが一つ悩んだものがあった。

ローカルな地名で恐縮だが、市内の飯島地区に手ごろな広さの物件があった。50坪ほどで600万円。近くには一応、飯島駅もある(正確には上飯島駅なんだってね。『上』いる?)しかし、「飯島に住む自分」を想像できなかった。100%偏見だが、土崎以北は暗い。夜が暗い。あと国道に近いとうるさい。でも安い。どうしよ。

 

そこからうだうだして商談もストップ気味になっていたところに

妊娠中の妻が入院することになった。

切迫早産の危険性があるためだ。それが10月。そこから無事に生まれてくることになる長女の誕生日まで三か月間、入院しっぱなしとなった。

 

長女の誕生後も、仕事などでもバタバタして(スポチャン運営死ね)、家を買うどころではなくなった。

長女が生まれて三か月ほどのち、住宅販売会社から電話がかかってきた。

新人君の営業所の支店長だという。「まだあの商談続けますか?続けないなら次のお客さんに話を持っていこうかと思っているもので」

と、いかにもやり手のベテランおじさんだった。

私は「ぐずぐずして申し訳ありません。ほかのお客様にお話をどうぞして差し上げてください」と迷いなく言ったものだから支店長が面食らった様子だった。

要は、「商談続けます続けます!」と私に言わせたい電話だったようだ。ならそう言ってよね!

 

そこからは話がとんとん拍子に進み、とうとう新人君のための秘蔵の土地が出現した。

60坪で450万円!近隣の相場より300万ほど安く土地が手に入った。

場所も寺社仏閣が近所にある(プロは近所に寺社仏閣があるかを必ず確認する。古くからの建物が滅びずに残っているということは、災害が少ない土地なのだ!)。

また、この地区は盛り土ではなく切土の土地、要はもともと固い地盤で、家を建てる時の地盤補強工事(立派に数十~100万円単位でかかる)の必要もない。

家の前をトラックが通ってもいまだに一切揺れない。強固な地盤である。

 

 

 

 

これで文句なしに家を建てられる!

 

正直、新人君の日々の対応には全く満足していなかった(人物的には嫌いではない)が、

このために新人君についていくと決めたのだ。この新人君に売らせたいという支店長の執念!

 

 

 

土地・建坪が決まれば後は家のつくりへと入っていく。

私は上記画像にある通り、シックなリビングにしたかった。だから、天井は必ずや黒と決めていた。しかし、スタッフさんからは「日常生活で黒色だと疲れますよ」と、たまーに見る分には黒はいいが、常に住み続けるとなったら白の方がいいらしいことをアドバイスされた。

が、

断固として黒の天井にした。それから4年。いまでも黒でよかった。心底良かったと思う。

 

 

長くなりましたので今日はここまで。

 

今日の教訓は「家を建てる時は新人営業氏に当たったらいいね」でした。

 

 

 

 

新人不動産営業マンが最初に読む本 改訂版 単行本(ソフトカバー) – 2017/5/17

コント「やすしくん」から、衆人環視でのサンドバックは引きずると感じた。

 

ダウンタウンのごっつええ感じ

 

この番組では様々な伝説的なコントが生み出された。

私が生涯一番爆笑したコントは文句なしで

やすしくん

だ。

 

当時私は高校1年生。男子なのになぜか「箸がころんでもおかしい年頃」であり、

比較的ゲラだった自分だが、この「やすしくん」だけは別格に笑い死んでいた。

 

突然「やすしくん」というテロップが出て始まったコント。

そのタイトルの意味を、松本扮する角刈りメガネのキャラクターを見て一発で理解した。

 

「毎度!横山だ」 「どないやっちゅうねん!」 「怒るでしかし!」

など特徴的なフレーズを連発し、ベタなボケに突っ込まれたらオチのようなジングルが流れおどけた表情をさらす。

 

1995年に高1の私は漫才ブームのことを知らないが、横山やすしのことはうっすらと覚えていた。

私の記憶では、横山やすしは上記フレーズを多用していたようには思わない。

漫才の頂点を極めるような才能あるタレントは「決めギャグ」を持たないことが通常だ。決めギャグに頼ることなくオールマイティーに笑いを生み出すことができるからだ。

 

ちょうど、現代のボクシング世界チャンピオンと同じようなものだと思う。

世界を奪るような選手は、接近戦が得意とか苦手とか、カウンターが下手とか上手いとか、関係ない。すべてを高いレベルでこなすのが当たり前で、持ちうる技術、体力、精神力の各々、もしくはトータルの「ほんのわずかな差」で勝敗が決する(井上尚弥を除く…)。

私は○○が得意技だからそれにすがります、などと言っているレベルではないのだ。

 

売れるテレビタレントもそうだ。

毎日テレビで見かける一流のお笑いタレントには持ちギャグがない。

ある人もいるのだろうが、それを披露することはめったにない。

 

横山やすしもその範疇に入ると思うのだが、松本はコント「やすしくん」を披露するにあたってその口癖やしぐさを捏造?誇張?した。

 

それでも。

 

当時は腹を抱えて笑った。

ただ、今見返しても、全作の流れすべてを知り尽くしているため大笑いはすでにできない。

 

でも、高1の自分にとっては衝撃的なコントだった。

学校では根暗で友達の少なかった私だったが、こと「やすしくん」放送の翌日(月曜日)だけは自分の後席のあんまり知らんクラスメートに話しかけてやすしくん話をして笑いまくった。

それほどの影響力を持ったコントだった。

 

 

コント開始からほどなくして横山やすし死去のニュースが流れた。

横山やすしを強く揶揄する内容のコントを作ったダウンタウンへの非難が巻き起こった。結局、当該コントの制作は終了となった。

当時は非常に残念極まる思いだった。冗談抜きで「これから何を生きがいにしていけば?」の精神だった(ほどなくして『サニーさん』の登場により私の息は吹き返す)。

 

なぜ松本はそこまで横山やすし揶揄コントを作りたかったのか?

 

まだダウンタウンがデビュー間もないころ、「ライト兄弟」の名で出演した演芸番組にて、司会の横山やすしから酷評されたことが根底にあったようだ。

しかし、1995年と言えばダウンタウンはすでに芸能界の頂点をほぼほぼ極めていたといえる。

逆に横山やすしはすでに引退済みの身。立場は逆転していたはずだ。

 

芸能界の中でも1,2を争う高収入を得、そして一般人には見ることのできない景色をいくつも眺めていたであろうダウンタウン

しかし、彼らがデビュー間もないころに受けた屈辱は払しょくすることのできない大きな出来事だったに違いない。やすしくんが誕生した理由のひとつに挙げられうるものだ。

 

 

 

相手が言い返せない状態で、相手を言葉でサンドバックにする。

これは相手からの恨みを買う最も簡単な方法だと私は思う。

 

横山やすしは演者であるダウンタウンが言い返せる状況にないことを承知の上で彼らを衆人環視のもと、強い言葉で酷評した。

 

横山やすしダウンタウンの関係性とは規模も質も比べるべくもないのは承知の上だが、

上司と私の関係性も似たようなものがあったと思う。

上司は私をことあるごとにみんなの前で叱った。時には生徒たちに聞こえるように(塾だったからね)。

 

その時の上司の発言の正当性はないに等しいことは先日の記事にてご紹介済みではあるが、仮に上司の言葉に正当性があったとて、到底、上司への恨みを抱くことの回避はかなわなかっただろう。

 

 

三つ子の魂百まで、とは本当によく言ったものだ。社会人三年目を「三歳」と考えれば納得だ。

 

私は今後、どれだけ社会的・経済的に成功を成し遂げようとも、この時の上司に対する恨みが消えることはないのだろう。ダウンタウンがそれを証明してくれている。

 

逆に考えると!

 

私たちは横山やすしダウンタウンにした仕打ちや、私の上司のようなふるまいをしてはいないだろうか?

自覚なしにやっちゃってはいないだろうか?

 

振り返るに、私はおそらく、教室長時代にアルバイト学生に対して似たようなことをしたような気がする。

気がする、というのは当時の私は上司からそんな理不尽な横暴を享受せざるを得なかったため、アルバイト学生にはそんな思いは決してさせまいと心に決めて接していたからだ。

 

しかし、分からない。相手が「恨み」を感じる行動を、私はしていたのかもしれない。

 

偶然出会う以外、当時の学生たちにはもう会うことはできない。過ぎたことをコントロールすることもできない。ただ、今後は相手をサンドバックにだけはしないよう、最深の注意を払って人と接するのみだ。

 

おそらく、当時の私の上司たちは、部下がこんなにも自らに対しマイナス感情を抱いているとは思ってもいないことだろう。心底、いいこと(いい指導)をしてやったと思っているはずだ。

むしろ、「なんであいつは俺に敵意をむき出しにしやがるんだ?」と疑問にすら思うのではないか?

 

そういった鈍感さが、自身の社会人としての力と、人間としての厚みを薄くさせてしまうのだと思う。

 

 

否定からは何も生まれない。表面上だけの迎合でも同様だ。

相手の考えを真正面から受け止め、相手の正当性を極力探し出し、肯定する。

 

ここから師弟関係は始まるのではないか。

なぜか、昔のコントを見て思い出した。

 

 

最近、昔の映像などを見ると以前までの感じ方と全く違っている。

なんだかとても楽しい。

同時に、自分の頭の中が硬直化しないように気を張っていかねば!

とも思う。

 

 

あと、人に恨まれないように気をつけようっと!

 

 

今日はこれにて終了です。

 

 

 

横綱 (講談社文庫) 文庫 – 2017/1/13

悲運の力士 髙安が優勝できない理由をアドラー心理学の観点から分析

 

一年納めの九州場所が、令和4年も無事に幕を下ろした。

サッカーW杯の陰に隠れ、史上まれにみる注目度の低さだった。

 

 

最後は巴戦にまでもつれる優勝争いは大混戦だった。

最終的に、平幕の阿炎(あび)が初めての賜杯を抱いた。

一年6場所の優勝力士がすべて異なるという珍しい年になると同時に

3場所連続で平幕力士が優勝するのは史上初だそうだ。

 

また、今場所は照強が15戦全敗と31年ぶりの事態に…。

ただ、31年前、板井の15戦全敗は今回とは事情が全く異なる。

八百八町夢日記である(ちがう)。ヤオについて書いてしまうと10万字あっても足りないので割愛。

15個星を売ると、一つ10万円だとしても150万円!立派に大関クラスの収入が…。

いかんいかん。割愛。

 

 

ちなみに

割愛惜しいと思うものを、思いきって手放したり省略したりすること

 

単なる「省略」と、「割愛」は意味が異なるので注意だ!え?言われなくても分かるってか!すごいな!

 

 

 

さて、今場所も平幕(前頭筆頭)の髙安が優勝争いに最後まで絡んだ。

というより千秋楽は優勝大本命に位置していた。

しかし、結果は残念だった。

 

髙安が「優勝の可能性がある千秋楽」に臨んだのは合計7回。

7度のチャンスにすべて振られ続けている。

 

大関であり、大関陥落後、今もなおバリバリ現役のトップ力士である髙安だが、

優勝はまだ一回もない。

 

特に先場所・今場所とほぼ手中に収めていたといっても過言ではない状況でのV逸は相当に悔しかったに違いないし見ているこっちもなんか悔しかった。

 

「ここ一番での精神面の弱さ」

が指摘されてきたが、優勝が絡む一番になると見るからに体が硬くなる髙安だ。

 

なぜこうまで狙ったように、大一番で精神面の弱さが露呈してしまうのか?

 

私は不思議でたまらなかったのだが、愛読書の「嫌われる勇気」の「目的論」に当てはめると解決することに気づいた。

 

 

「嫌われる勇気」のなかで、哲人(てつじん)は

 

アドラー心理学では過去の原因ではなく、いまの「目的」を考える、

と述べている。

 

例えば、

引きこもりの人は

過去にトラウマになるような出来事があり、外出しようとすると不安が強く襲ってくるため引きこもりになった、

のではなく

引きこもり続けたいから、外に出たくないから、不安という感情を作り出している、

 

という考えだ。

 

今の「引きこもり」状態は、過去にトラウマになるような出来事があった故、と考えるのが原因論というのに対し、

引きこもるために必要な要素を自ら作り出している、と考えるのが目的論。

 

 

アドラー心理学では過去は関係ない、というスタンスだ。

 

 

つまり!

 

髙安関は精神面のもろさ故、優勝がかかる一番で硬くなるのではなく、

 

優勝がかかる一番で真価を発揮できなくなるよう、自らに枷をかけているのではないか?

私はそう考える。

 

もちろん、髙安関が大一番で手を抜いたりだとか、わざと力が出づらい状況を作り出したり、など意図的にやっているわけではないだろう。

 

しかし、本人の中には大一番で硬くならない以上に大切な、言い換えれば守るべきものが存在しているのではないか?

例えば、

大一番で全力を出し切ったにも関わらず敗北してしまうことへの恐怖。

これを抱いているとすればどうだろう。

 

万一、全力・実力を出し切ってそれでも負けてしまったら…。

もう優勝は不可能になるのではないか?もはや完全に優勝という目は摘み取られてしまうのではないか?

 

それよりであれば、

優勝に手が届かないとしても、「大一番での精神面の弱さが出なければ優勝できる」と可能性を残しておきたい。逆を言えば、優勝できないのは精神面の弱さのせいだ。決して実力が劣っているわけではない。

 

無意識化にでも、そう考えていたら納得できる。

そう。あえて大一番で硬くなるように、本人が選択し、臨んでいるのだ。

 

一番恐れているのは「全力を出し切ったが、敗北してしまった」という結果なのだと思う。

 

それだけは避けたい。

 

そういった思いが、行動に現れてしまっているのではないか?

 

 

相撲の実力では他の力士に遜色ないどころか、先述のように幕内でもトップクラスの実力を誇る髙安関。

皮肉にも、その力にブレーキをかけているのが自分自身だとしたら…。

 

たかが素人の戯言にすぎない。しかし、この記事をぜひ髙安関にチラッとでも読んでいただきたい。

 

私は声を大にして言いたい。

ファンもそうだが、家族や部屋含め、周囲の人々は髙安関がいかなる時でも土俵上で最高のパフォーマンスを発揮すること自体を望んでいるのではないか?

決して、勝利のみを欲しているわけではないのではないか?

 

仮に全力死力を尽くして敗れたとて、だれもマイナスな感情は抱かないだろう。

だから、

今度のチャンスでは自ら背負っている心の重しを取っ払ってほしい。

優勝のかかる大一番で、全力で実力を出し切る。これを経験してほしい。

勝敗は単なる結果論だ。

 

今場所は前頭筆頭で12勝3敗。来場所は三役で迎えることだろう(関脇に上げてやりたいが今場所は関脇二人が勝ち越し…小結も1席しか空いていない…多分小結か)。

 

まだまだ優勝争いに関わる機会は訪れる。全力を尽くすことの正しさを腑に落としてほしい。

 

 

 

長女が赤ん坊の頃、体毛、特に背中の毛が比較的多かった。

 

大相撲を全くと言っていいほど知らない妻が一人だけ覚えている力士がいた。

長女と同じく背中の毛が豊富な髙安関だ。

長女の体を赤ちゃん用バスタブで洗っているとき、妻と私は長女を見ながら「髙安(の背中の毛に似ているね)」などと超失礼ながらも言い合ったものだ。

 

髙安関を今後も力の限り応援し続ける。

願わくば、大一番での全力の取組を見てみたい。

来年も大相撲をよろしくお願いいたします(誰?)。

NHK集金人が絶滅した

NHKの集金人が絶滅した。

正確には、まもなく集金人の委託制度が廃止される。

 

現在はまともな集金活動から委託業者はほぼ手を引いている。

 

 

集金人絶滅の功労者は言わずもがな、立花孝志氏だ。

NHK党の党首だ。

 

 

NHKの集金人が絶滅した最大の理由は

「弁護士法72条違反」

だ。

 

NHK職員ではない「集金委託業者」は

訪問活動の一環である契約締結業務について、費用の割引等をしてはならない。

それらができるのは正規のNHK職員か、弁護士だけだ。

 

この盲点を歴史上はじめて指摘したのが立花さんだ。

皆さんは覚えているだろうか?一時、政党名を

NHKと裁判してる党 弁護士法72条違反で」としていたことを。

 

おそらく、世の多くの人々は「あの党何やってんだ?」とイロモノ扱いしていたに違いない。

 

しかし、

ときは少し流れ現在。

立花さんの地道な活動(しかし、計算されにされつくされている計画でもって)によりとうとう、委託業者による集金業務を裁判所も弁護士法72条違反と認めざるを得なくなった。

 

最初の頃は裁判で負けが込んでいたようだ。

しかし、それこそ地道に(これも立花さんの掌のうちだったと思う)裁判を重ね、

ともすればNHK寄りになる裁判官の判決たちを乗り越え、勝ちをもぎ取った。

 

瞬く間に委託業者の集金業務(正確には契約期間を自らの裁量いにより決めてしまう価格交渉行為)が違法との認識が国民の間に浸透しだした。

 

そこから委託業者による集金業務の廃止の決断は早かった。

 

私たちの世に平和は訪れたのである。

 

 

しかし、1万分の1の確率ではあるが、受信料未払い、もしくは未契約の世帯がNHKから、直で裁判を起こされる可能性はある。

が、

その裁判費用と滞納(と判決された)受信料の肩代わりを立花さん率いるN国党で負担してくれるのだという。

 

今後も安心して不払いを続けてよいということだ。

立花さんは、政党助成金をマジで有効に活用している。正しい使い方だと思う。

 

NHKの受信料収入は年々減少している。今回の集金人制度廃止でさらにその度合いは強まるだろう。

立花さんは本当に「NHK解体」をやってのけてしまうだろう。

6~7年来のファンでもある私はファンとなった当初も今も変わらずそのことを確信している。

 

及ばずながら、私もこれまで同様、今後の生涯NHK受信料を支払うことはない。

 

 

ただ、当然のことながら、世帯に受信設備があるのであれば現在の法律により受信契約を結び、受信料を支払う義務が生じる。これには注意していただきたい。

だから、テレビがあるのに放送受信契約を締結していない(いわゆる未契約)世帯は、今すぐ受信設備を廃棄してほしい。

すでに契約締結している世帯については、受信料支払いを引き落としから「振込用紙での振り込みに変更」し、不払いをしていこう。

 

「受信設備があるのに未契約」は違法だ。

しかし、「受信契約を結びながらも受信料は不払い」は違法ではない。

※おそらく金の貸し借りのもめごとような、民事上の争いになるのだろう。要は個人間の問題に過ぎない。

 

だから、国民みんなが受信契約をいったん結び、受信料は払わない。

この選択をしていこう。

万一(本当に1万分の1くらいの確率)裁判を起こされても前述のとおり、こちらの持ち出しはゼロだ。

 

立花さんも、違法行為はおすすめしていない。

詳しくは立花さんのYouTubeチャンネルを見て学ぼう。

 

 

 

…なんてことを私が叫んだとしても、多くの人は受信料を払い続けるのだろう。

地上契約だと月額1,225円の年額14,700円。

衛星契約だと月額2,170円の年額20,040円。

 

携帯電話を大手キャリアで店頭契約し、月に6,7,8,9千円も1万円もかけている人々にとって、NHK受信料の負担はあまり大したことがないと感じることだろう。

 

考えは人それぞれなので強制はできないが、私ならそのムダ金をインデックス投資する。

 

 

皆さんはどうだろうか。

とにかく、もうNHKの集金人は皆さんの家にはいかない。

世の中が浄化されていく時代に生を受けたことに感謝である。

大げさに表現し、今日はこの辺で終了します。

 

 

 

 

有罪なれど反省せず Kindle版

今日、明日あたりは家電を安く買うことができるのだろう

月末の土曜日。

 

家電量販店をはしごした。

電池や電球などの消耗品を探すためだ。

時間は夜の七時ほど。閉店の1時間前だ。

 

3軒ほどはしごをしたのだが、どの店舗でも店員さんと目が合うあう。

入店から退店までビッシリ監視されている。

私の挙動が怪しいからか?上下真っ黒のほぼ寝巻で靴だけ白のファッションセンスzero服装だからか?

しかし私の首から上のパーツの整いっぷりは秀逸であるため多少の服装の不備は相殺されるはずだ(?)。なのになぜ?

むしろ、顔面イケメンすぎて注目を浴びているとでも?え、オッサンからも(LGBTにご配慮ください)??

罪深き男になってしまったものだ、私も。

 

などと考えていると、ある事実に思い当たった。

そう。

今は月末。要するに各店舗で「今月の売上目標数値」に達していないのだ。

そのため、来た客来た客すべてに何かを売りつけようとしている。

 

1万円でも2万円でも売上額を積み上げたい。

その日の朝礼では店長から各スタッフに必死の激が飛んだことだろう。可哀想に。

 

しかし申し訳ないが私は店頭ではほぼほぼ家電は買わない。

同じ商品を検索すると、アマゾンをはじめ通販サイトの方が圧倒的に安いからだ。

 

ほぼ全商品の価格は、通販サイトの方が安い。

そりゃそうだ。店舗を構えず、さらには人件費がかかっていないのだから。

私は家電をすべて通販サイトで購入している。

新築した家にエアコンを増設した際も通販サイトから購入した。

(で、設置は地元の業者探してお願いした。すごいでしょ)

その方がやはり安い。

 

ちなみに、店頭にある商品とAmazonとの価格差を調べるには

Amazonのアプリを入れるとカンタンだ。

Amazonのアプリを入れると、商品のバーコードを読み取ることができるようになり、読み込むと同時にAmazonでの販売価格が表示される。便利すぎる。

いちいち型番とかをポチポチ入力しなくても済むのだ。

(ただ、あまりにバーコードを読み込む回数が多いと店員から注意される。電気屋にとってAmazonは脅威なのだ!)

 

通販で買っても保証が心配…

そんな声もあるだろう。

が、

きちんと新品の「1年メーカー保証」が付いている。

 

家電量販店お得意の「保証期間延長制度」。

既定の追加料金を払うと1年→5年に保証期間が増えますよ

というアレ。

 

私はこれまでの人生で一度も「保証期間の延長」による恩恵にあずかったことがない。

 

家電はめったに壊れない。

壊れたとしても保証対象外の症状のこともある。

6年目に、「タイマーのごとく」壊れたことも一度ある。

 

要は、ほとんどの場合、保証期間延長の必要がないのだ。

保証期間を気にして、買う家電買う家電すべてを店頭にて割高で購入するのはあまりに損失額が多大だ。

 

いざ壊れた時に電気屋に行くと便利

そんな主張もあるだろう。

しかし、一般的に、家電量販店からしたら「すでに購入された商品の修理依頼」は余計な仕事が増える以外の何物でもない!

イヤな顔をされながら、もしくは表情に出さずとも心の中は「メンドクセ」と思われながら保証に基づく修理を依頼してもこちらの心が晴れない。

 

だから、皆さんも「直でメーカーに連絡する」をやってみてほしい。

さすがに「修理依頼を受けるのが仕事」なだけあって対応は普通だ。

嫌な気持には全くならない。

しかし、メーカー直電話も人生に何度あるか…。一度もない人の方が多いのではないか?

 

そんなことを感じながら、電気屋を巡った。

皆さんも今月中に家電買う予定があれば店頭に赴いてみてはいかがだろうか?

交渉次第ではAmazonより安く買えるかもしれない。

 

ただただ私が男前だっただけの可能性も高いが、

ダメもとで安価で購入チャレンジしてみよう。

 

 

ではまた次回。

勉強にならなかった勉強会

 

家の段ボールの中身を整理していたら三冊の本が発掘された。

以前に書店で購入したものだ。

しかし、私はこれらの本をあまり熱心に読まなかった。

では、なぜこれらの本を買ったのか?

理由は一つ。上司に強制されたからだ。

 

 

今から7~8年前、私の直属の上司はなんというか「意識高い系の体育会系」な面倒くさい人物だった。

 

「仕事なんてそこそこやってそこそこ数値達成して定時出社定時退勤できるようになるのが会社員の使命」という考えの私とは正反対で、仕事に生きよ、というタイプだった。

だから上司の私への当たりはキツかった。根本的に、私の考えを「悪」と断じ早出出社そしてサービス残業を強いた。

誤解なきようにお断りしておくが、私は決して「グータラ社員」ではなかった。なんなら真面目に一所懸命仕事に取組み、数値という名のノルマは最低限達成していた。未達成で終わることはほとんどなかった。全国組織の会社だったが、他地域を見渡せばそこそこ達成どころか、「数値未達成」で終わっている拠点などごまんとあった。

私は、ただただ正規の時間で働き、休みの日は例外なく休ませてくれよ、と主張していただけだった(し、必ず休んでいた)。

しかし、それではダメらしかった。なぜなんだろう?純粋に今でもナゾだ。

今考えれば、給与面でも影響が出ていた、大いに出ていた。今になって分かる。

 

その頃は、出社するたびに上司からものすごい目つきでにらまれるのが日常になっていた。今ならパワハラ訴訟で瞬殺できるほど悪意に満ちた目つきだった。

具合の悪いことに、上司は決して暴力には訴えてこなかった。コンタクト系のスポーツに秀でていた上司の格闘能力は低くなかったはずだ。

私はひそかに「手を出して来いよ。10倍にして返してやるから」と常に思っていた。ボクシング経験のある私からすれば、相手の攻撃をかわし(or受け止め)、左右のパンチを合計10発相手に当てるまでに7秒かからない。

 

余談だが、ボクシング経験者と素人の違いの一つに「左右でパンチが打てる」ということが挙げられる。大体の素人は利き手で振りかぶってパンチをふるうが、逆の手でパンチはなかなか打てない。打てたとしても威力不十分。

経験者は逆の手でも当たれば倒れるパンチを繰り出すことができる。素人とは単純に攻撃機会が倍になる。これはかなり大きい。

 

格闘についてはさておき。

 

上司はある日、「これから毎週月曜に勉強会を開くことにした。」と言ってきた。

私と、後輩の女性社員が強制参加させられる羽目になった。

これもタチが悪く、上司は決して「ワード上」は強制色を出さない。「お前たちが必要だと思うなら勉強会を開催する。どうだ?」のように言ってくる。その時の上司と私の関係性では「いりません」とは到底言えなかった。今なら逆に「勉強会開いて教えてあげますよ」と言えるし、実際にいろいろなことを教えて差し上げることができるのだが。

 

かくして毎週月曜の上司主催勉強会が開催されることとなった。

時間は午前11時から。一つ注意点が。この時の仕事は13時出社の22時退社が定時だった。

だから勉強会のために毎週月曜は定時の二時間前に会社に行く必要がある。

8時出社の人が6時に出社するのと同じだ。どうも、仕事の時間帯が遅くずれると「余裕じゃん」と思う人が多いのだが、きちんと定時から逆算して考えてほしい。プンプン!

 

肝心の勉強会の内容は、上司の哲学のレクチャーだ。

今思えば「とてつもないギャグセンスだ」なのだが、当時は真面目にダルがりながらも上司の考えを吸収せねば、みたいなことを少しは思っていた。愚かだ。

 

上司の哲学を学ぶ上での入門書が、冒頭の画像にある三冊の書籍だ。

稲森和夫と松下幸之助の著書。経営を志すなら必ず読んでおきたい三冊だ。

ただ、残念ながら当時の私は定時マンだったため、これらの内容は崇高過ぎてついていくことができなかった。

だが、上司はお構いなしに私と後輩に自らの哲学をひけらかしてくる。

 

苦痛だった。講義内容はそれほど苦痛ではなかったかもしれないが、定時の二時間前に出社するのが何よりも苦痛だった。私は「定時」に異常にこだわっていたのかもしれない。定時から逸脱するのは天地がひっくり返るも同義。もしかすると、このこだわりは発達障害の一種なのではないかと今振り返ると思う。自分としてはその気があっても何ら不思議ではないが…。

 

二時間前出社という、勉強会への「入り」が苦痛だと、講義内容もそんなに頭に入ってこない。

今現在、発掘された書籍をパラパラと見返してみると、ところどころラインが引いてある。おそらく、勉強会の時に引いたものだろう。はて?なんでこんなところに線を引いたのか?さっぱりわからん。

つまり、この勉強会のことを全く覚えていないのだ!半年は続いたかと思うが…。

 

この数年後にこの上司は会社を退職し、この会社のフランチャイズに加盟し、店舗運営をしている。個人事業主だ。自分の働きがダイレクトに収入に直結する。腕の見せ所だ。

しかし、開業当初から直営本部である私のもとにヘルプの電話が後を絶たない。主に人員補充の依頼だった。こっちもいなくて困ってるんだよ!

私より上の立場であるエリアマネージャーには資金繰りの悪化の相談なども来ていたようだ。

要するに、元上司の運営する店舗は流行っていないのだ。

 

直営本部の長である私のもとには、元上司の店舗に対するクレームが何件も来た。

そして現在、2022年も鳴かず飛ばずのようだ。少なくとも、複数店舗展開ができていない。夢のまた夢だろう。

 

そう。

 

そんな奴に何を私は教わっていたのだろう??

 

逆を言えば、

自店舗一つまともに黒字化できない程度の力しかない奴が、

なぜ勉強会を開いてやるなどということができたのだろうか??

 

今もって不思議だ。

 

 

人間、抽象度の高い事柄を理解することは難しい。

しかし、抽象度の高い事柄はそれとは裏腹に「理解したつもり」になれる要素も多分に含む。要は解釈が人それぞれ違っても間違いではないのだ。

 

松下幸之助の「道をひらく」の一節にこんな記述がある。

 

自己を捨てることによってまず相手が生きる。(中略)おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい。

 

 

 

私の本には、この部分に線の書き込みがあった。おそらく当時、勉強会で扱った題材なのだろう。

上司はここから何を学んだのだろうか。

 

店舗が流行っていない、ということは客のニーズに応えられていないということに他ならない。

自分の提供したいもの、ではなく市場が欲しているもの。

この提供を最優先に考えなければならない。この店舗は塾だ。

客が塾に欲するものって何だろう?何のために高い金払って塾に行くのだろう?

礼儀を身に着けるため?学習習慣を身に着けるため?

全く違う。

 

答えはただ一つ。成績を上げ、志望校に合格すること

 

これが客の願いだ。これのみが客の願いなのだ。

 

元上司はこのニーズに応えようとしているのだろうか?

生徒の成績の上げ方を分かっているのだろうか?

 

例えば、英語の成績を上げるには、文法などそこそこに、

教科書本文をすべて暗唱できるようにすることが何よりも大切であることに気づいて実践できているだろうか?

まずは知っている英文を増やし、余裕があれば(すでに合格水準に達しているならば)そこから体系的に文法を学び、英語の力を肉付けしていく。これが英語学習の鉄則だ。

 

脱線するが、世の中のほとんどの塾は上記英語の指導ができない。

なぜなら、これを実践するということは、英語の授業が英語力の高い生徒に対して以外はほとんど不要となることを意味するからだ。英語の文法授業を生業にしている者の失業を意味することになる。

 

英語の授業や教材は、提供する側の論理で作成されている。

多くの英語の問題集は文法のテーマごとに分けて構成されている。

 

しかし、世の中の入試英語で「ここは不定詞の問題ですよ」とわざわざアナウンスしてくれるものはあるだろうか?ない。

 

もちろん長文の問題集もあるが、使うのであれば、それは最後の最後の仕上げに使用せねばならない。

まずは教科書(高校生は副教材も)の英文をすべて読めて表現できるようになること。そのためには教科書の音読作業が日常の学習となる(たまに書くけど)。

これには英語の授業が介入する余地はない。介入余地があるとすれば暗唱補助くらいだろう。

「ある部分を日本語でいうから英語に直してみて」など、教科書の英文を覚えたかどうかのクイズ出しくらいしか講師の役割はない。

 

これでは客に「これが英語の授業です」と言って金をとることはできない。

だから世の中の英語教材や英語授業は、講師が何とか強引にでも、その授業効果が低かろうがなんとか生徒に介入しようとするために「文法」くくりとなって提供されるのだ。文法のレクチャーならいくらでも介入できる。

しかし、ある程度の英文を覚えている生徒ならともかく、多くの英語苦手生徒にとっては、英語学習の入り口が「文法」である必要はないというかあってはならない。

※正確には、最初にさらっと文法事項らしきことを説明するのはアリ。あくまでさらっと。

 

 

……みたいなことを元上司は考えたことがあるのだろうか?

学習塾を経営する以上、「通って成績が上がるかどうか」は最も大切な要素だ。

他の何を犠牲にしてでも成績の上げ方を追求するしかない。

 

それが松下幸之助の言う「自己を捨てることによってまず相手が生きる」形なのではないだろうか?

 

生徒に礼儀や心構えなどの抽象論を唱えることはカンタンだ。

しかし、それに逃げてはいけない。

抽象論を唱えて生徒の成績は上がるのだろうか?

どうすれば生徒の成績が上がり、実際に100%の再現性をもって持続させられるか?

 

これを追求し続けることが学習塾のあるべき姿なのではないか?

 

 

 

 

ほらね。深いでしょ?

正直、浅いのは元上司だけではなく、前の会社全体に言えることだ。

元上司だけを悪者にする気もない。

 

ただ、私が前の会社にいた誰と成績の上げ方についての議論しても負けることはない。

 

なぜなら、前の会社(塾)は「350点くらいのヤツを420以上にしてトップ高に合格させることができないから」だ。

前の会社のみならず、そんな塾はほとんど存在しない。個人塾にちらほらある程度。

 

400点のヤツを420点にすることは極端な話、誰にでもできる。

420点のヤツを450点にすることはある程度の塾ならできる。

 

でも、切実に塾を必要としている「このままでは到底トップ高に合格できそうにない生徒を合格させる」ということができずに何が塾なのか?

私は前職時代、入社から退職までずーっと思っていた。

 

そりゃ、中3からいきなり入ってきて「合格させてね」は困難だとしても、中1から入ってきた奴なら全員トップ高に通せよ!

と思う。

 

それができない塾にいる者の教育論などまさに机上の空論。

(前の会社は極端なほど新卒が育たずに全員病んで辞めていくパターンだった。能力が低い人財を育て上げ、能力の底上げをする技量がない会社だった。それが生徒指導にも如実にあらわれている。)

 

 

 

 

発掘された3冊は、もはや経営の古典と言えるほどのものだ。

今とは時代背景が違う分、当てはまらないことも多いが、あくまで古典。

時代が変わっても「ビジネスで結果を出す」ために必要な要素は変わらない箇所もある。

 

今一度、読み直し「自分に具体化」して内容を吸収していきたい。

 

 

 

 

元上司に一つだけ、アドバイスできるとしたら

「授業力を身に着ける」

だろう。

 

世の個別指導塾の教室長は、大体が自分では授業することができない。

だから大学生講師に全面的に頼らざるを得ない。

 

しかし、元上司の店舗の立地は大学が付近にない。だから人材が集まりにくい。だから、高校生の集客に消極的だ。これでははっきり言って儲からない。

 

とすれば、自分が授業に入るスキルを身に着け実践し、

そのスキルをそのままこの先入ってくるであろうアルバイト学生に伝授していくことが大切ではないか?

どんなに頼りない学生でもアルバイト応募がなければ質の低い人財でも使わなければならない。それを育てるには自分が授業に、言い換えれば自分が生徒の成績アップに長けていなければ話にならない。

 

だから

 

授業力を身に着けるのだ。

 

直営の集団指導部門で鍛えてもらえばいい。

プライドなどかなぐり捨てろ。

ただ、成績下位層への向き合い方は拙い集団なので要注意だ!

 

そう言った努力が、相手を生かすために「自己を捨てる」ということにつながるのではなかろうか?

 

偉そうに言ったが、偉いのだ。

もっと二人の経営者の抽象概念を具体化するのだ。

元上司の検討を祈る。

 

 

 

早く塾開きてー

 

 

 

 

道をひらく 単行本 – 1968/5/1

心を高める、経営を伸ばす―素晴らしい人生をおくるために(PHP文庫) 単行本(ソフトカバー) – 2004/4/12

[新装版]成功への情熱 単行本(ソフトカバー) – 2007/11/21

代車でブイブイ言わせた42歳冬。の夜。

車検のため愛車フィットをディーラーに預けた。

 

担当スタッフは私の実弟

弟から「代車は俺の車(NBOX)か軽トラ(MT)どっちがいい?」

と聞かれ秒速で「軽トラ(5速MT)でオナシャス!」と返す。

数時間後に自宅に軽トラ(5速MT)が届いた。

 

 

 

まごうかたなきホンダ アクティ。

ところどころボディに浮かぶ錆びが現役であることを逆に物語っているように感じる。

密かな疑問なのだが、ディーラーで軽トラって何に使うん??

 

おそらく2,3日はこのアクティとともに過ごすことになろう。

それにしてもMT…。

 

マニュアル車である。

 

 

デザイン性・居住性皆無と言っても差し支えないほどのムダなきインテリア。運転・運搬のためだけに存在する車両である。

 

マニュアルのシフトノブを操るのは何年ぶりだろうか?

エンストせずに無事に運転できるだろうか?

不安が胸をよぎるが、やるしかない。

同時に、久しぶりのマニュアル車の運転に心ときめく自分もいる。

楽しみだ。不安2:ときめき8だ。今日が私のメモリアル。

 

別に所用があったわけでもないのに夜に軽トラ(5速MT)で出かけてみた。

マニュアル車の最初の関門は「発進」だ。クラッチペダルとアクセルペダルの調整が難しい。

クラッチペダルを早く戻し過ぎるとエンストするし、アクセルペダルを踏みこみすぎるとブオーン!となる。

 

しかしそこは昔取った杵柄。左足と右足の感覚と、ギアのつながり方をシートに座るオケツで感じながら無事に発進成功!

 

そういえば昔、一年ほどマニュアルのマーチを所有・運転していた。

その時期は日産ディーラーで働いていた。仕事で毎日のようにマニュアル車を運転していた。ショールーム担当でもあり、試乗車のフェアレディZも毎日のように動かしていた。

客に呼び出され、整備を頼まれた車を自分で運転し、社に持ち帰ることも日常チャ飯事だった。私はマニュアル車をいつもガンガンに運転していたのだ。そういった実力があるのだ。実力って。

 

 

とうとう軽トラ(5速MT)で公道に踊り出た。

1速から2速、2速から3速、3艘でもヨットとシフトノブをガコンガコンと動かす。

非常に気持ちがいい。自分で車を操っている実感がある。

信号で止まるたび、発進の際にムダにアクセルを踏み込み、素早くシフトチェンジしてみる。気分はゼロヨンだ(実際にはMax60㎞ほどしか出ておりません)。

 

時速60㎞でも、軽トラなら体感スピード時速100㎞(大げさ)!

 

 

一通り走り終えて帰宅。

しかし、最後の難関が待ち構えているとはつゆも思わず。

そう。

バックで車庫入れがムズすぎる!!

バックだとなぜかアクセルオンしすぎてフォンフォンなる!!

それを気にしてアクセル緩めると今度はカルンカルンってなる!

 

ムズ!!

 

なるほど。この車庫入れに慣れるまでは、マニュアル車運転完全復活とはいかないのだな。あと2,3日中にバックも思い出そう。

 

新たな目標ができると人間、張り切れるものだ。

たまにはマニュアル車もいいな。

予想通りだ。

おそらくこれが一か月続くと死にそうなほど飽きるのだろうが…。

 

 

季節は初冬。この季節でよかったと思ったのが車の窓だ。

そうです。

 

手でクルクル回すやつだったのだ!

夏だったらヤバかった。

助手席までクルクルやってたらとてもじゃないが精神の正気を保ち続ける自信はない。

 

窓を開ける必要のない季節で本当に良かったと思った。

あとイマドキリモコンキーじゃないのはどうかと思った。

これぞ軽トラ!と思うことにしたし、思うほかない。

 

やべ。一日しかたっていないのにもう愛車ロスが激しい。

早くフィットよ、戻ってこーい!!

 

失って初めて分かることって多いですよね。

皆さんも何気ない日常を大切になさってください。

 

 

 

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