晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

「子どもの声がうるさいから公園が廃止…それでいいの?」記事を読んで

信濃毎日新聞が報じた公園廃止の記事

 

 

www.shinmai.co.jp

 

 

要約すると、

 

・公園で遊ぶ子供たちの騒音その他の迷惑行為へのクレームが近隣住民から寄せられ続ける

・市側が様々な対策を講じるもクレームが収まらず

・やむなく公園自体を無くす(廃止)ことを決定

 

というものだ。

 

私が真っ先に感じたのは、

 

 

役所の勤め人っていうのはこんなもんだよな

 

 

ということだ。

 

 

 

数十年前なら、他に遊ぶ場所がたくさんあった。

しかし現代は違う。子供が思いっきり走り回り、時には野球すらもできるような、広く安全な土地は希少だ。

 

それを廃止するとはどう考えてもおかしい。

 

子供の声がゴジラ並みの音量だとでも?野球でホームランが出過ぎて近隣の住宅が壊滅したとでも?

そんなことはないだろう。

 

 

ただただクレーマーに屈した。

それだけのことだ。

 

圧倒的なしつこさと異常さを持つクレーマーへの耐性は

役所の勤め人というぬるま湯につかり切った者たちには到底ないだろう。

 

根底にあるのは「なんで俺がこんなに苦労しなければならないんだ…運が悪すぎる…」

という思いだろう。

 

公務員は無責任である、というよりは

前例踏襲絶対主義

である。

 

前例にないことは悪

 

そういった価値観なのだ。

だから、クレーマーに真正面から向き合い、真摯に対応し、毅然とした姿勢で闘う。

こんなことを実行した職員など過去には皆無なのだ。

 

 

だから自分も戦わない。

 

 

この公園廃止問題を検索して調べてみると、さらに詳しいことが書いてあった。

 

・ある一人の住民が執拗にクレームを入れていること

・保護者の迎えの車がひっきりなしにあること

 

だ。

車の問題は、対処の工夫により解決できるだろう。

しかし、役所の職員程度の使命感では無理だろう。

民間に委託したらどうか?

 

そして

 

とりわけ、公園廃止の直接的要因となったのは

「ある一人の住民による執拗なクレーム」

のようだ。

 

長野市議会議員小泉一真さんが詳細を複数ツイートされている。

 

 

 

 

私がネットで調べてたどり着いた「公園廃止までの道のり」は以下の通り。

 

①確かに公園は子供の声でうるさい

②公園開設(2004年)初期はボール遊びも許可されていた

③クレームを受け、段階的に公園利用方法の規制が入る

④しかし、一人のクレーマーは収まらず、ボール遊びをしている子供の手を無許可で引っ張り、公園の注意書き看板の前に立たせて注意した(有形の武力行使じゃないの?)

 

 

これを受けて市側は、(キ〇ガイ)クレーマーが他者からの攻撃を受けぬよう、公園を廃止する

という 廬山昇龍覇-ろざんしょうりゅうはー をぶちかましたのだ。

 

 

ひとりの(キ〇ガイ)クレーマーと大多数の子供たち。

守るべきものはどっちか??

こう問われなければ市側は分からないのだろうか?

 

 

一方、このキ〇ガイから子供たちを守るために公園を廃止する、という考え方もあるだろう。

そこまで危険な人物であれば国家権力が発動する事案なのではないか?

 

とにかく、役所の人間の事なかれ主義により、子供たちの憩いの場は消滅するのである。

普段クソみたいな情報しか流さないテレビよ!こういう問題こそ真っ先に報道すべきなのではないのか?

だから誰も見なくなるんだよ!

 

 

さて、

 

市側の人間に望むことがある。まあ、実現不可能ではあろうが。

 

今回の問題、私が担当課長(どっかの課長が今回の決定をしたんだって。)だったならどうするか?

答えは一つだ。

キチガイ真正面から正々堂々と向き合うことだ。

 

 

なにもキティを攻撃しようというものではない。

 

まずは公園は絶対に必要だ。

子供冷遇の数十年の結果が、現在から近い将来の日本滅亡危機(っていうか絶対に滅びる)を招いている。

 

多くの人間(日本は高齢化国なので若者よりも年寄りが多い)にとって、子供の教育などには興味がない。実利がない。

今日生まれた子供が成人するころには、現在60~80代の多くは死滅している。

要するにこれからの日本がどうなろうが知ったこっちゃないのだ。

 

そう思うのはしょうがない。自分だって普通に生きていたら20年後にはそうなるだろう。

 

 

今回のキティもその部類に間違いなく入るだろう。

 

話を戻すと、私が市の職員だったなら、しかも課長という肩書があるのであれば

このキティに対し、心からの説得にかかる。

 

私はこの国を愛していること、子供たちは国の宝であること、この国が将来滅びる姿など絶対に見たくないこと。

そして子供たちに遊び場を通して様々な体験をして学びを得てもらいたい。

人との調和、創意工夫、近隣への配慮、親への感謝など、生きる上で大切なものを獲得してもらいたい。

そのためには公園が必須だ。

私たちの子供時代とは異なり、子供たちが自由に駆け回れる場所はない。

せめて、ここが子供たちにとって全力で遊ぶことのできる場所にしたい。

子供たちの思い出が残るふるさとを残したい。

だから

子供たちの未来のために協力してもらえないだろうか?

この通りだ(頭を下げる)。

 

 

 

…とまあ、例を挙げるとこんな感じのことも私はキティに言うだろう。

そして、頭を下げる。こんなことが役所の勤め人にできるだろうか?

 

おそらくはそんな発想すらないであろうし、思い浮かんだとしても「なんで俺が」であろう。

 

しかも、キティは一朝一夕ではどうにもならない。長期にわたり接触を続けることでやっと態度の軟化が望める可能性が出現する。

多くの場合は徒労に終わり、最終的には警察沙汰になるだろう。

でも、やるのだ。

 

だって、そのために公務員になったんだろう?

国の繁栄のために自らを奉仕する。それが公務員のあるべき姿ではないのか?

 

自分に降りかかる火の粉を払いのけることが、公務員の使命ではないはずだ。

 

 

どこまでいっても公務員はしょせん、公務員か。

 

こういった印象を、この長野市のなんかの課長は、公務員全体に対して抱かせてしまった。

罪だと思う。この課長を育てた者たちも同罪だ。

 

 

国家にきちんと奉仕する。この姿勢をもう一度考え直してもらいたい。

ムリなのは百も承知だけど、数万人に一人は、心に刺さってくれるかもしれない。

 

市の職員の気持ちも分かる。

「毎日机で寝ていても一定の収入がほぼ死ぬまで保証される」

から公務員になったのだから。

だれも進んで困難に立ち向かい、よりよい社会を作り出そうとは思っていない。

そのためにあのややこしい公務員試験対策をし、受験して合格したのだ。

 

今更ややこしいことを俺にやらせるんじゃない!

 

そうだろう。

私だって公務員になっていたらそう思うだろう。

 

しかし、時はweb2.0時代。

国民全員が発信者になれるこの時代に、

正しくないものは遅かれ早かれ白日の下にさらされる。

 

こういう考え方は不適切かもしれないが

ネットにさらされないようなまっとうな考え方で仕事をしようではないか!

 

 

今回の記事についてはまだまだ世論が動くような気がする。

行く末を見守りたい。