晩酌と相撲好きのブログ

毎日ビール2本程度の晩酌とおいしいつまみ、そして大好きな相撲を愛しているアラフォー妻子あり男の心の内です。たまに本業の教育分野に関することもつぶやいたり。暇つぶしに見てやってください

しげる

中3のとき、しげると同じクラスになった。

 

しげるは私と同じくらいの身長(174cm)ながら体重100kgの堂々たる体躯であり柔道団体の全県優勝メンバーの一人だった(この体格でなぜ先鋒だったのかは史上最大の謎)。

 

我が中学校は当時全校生徒1000人超の大所帯であり3つの小学校から生徒たちが集まってくる。

しげると私は同じ小学校出身だったが(私達の小学校もまた、全校児童1000人ほどのマンモス小学校であった…)、当時は同じクラスになったことがなくしゃべったこともなかった。

 

私としげるは出席番号が隣接していたため、中3最初の座席順は前後で並んでいた。
私が前に、その後ろの席にしげるといった具合だ。

 

お互いその存在は認識していたが、コレまで直接の接触はなかった。
しげるは特に目立つ存在であったが…)

 

座席が前後になり、
自然と二人で会話をするようになった。

 

お互い部活で忙しかったので本格的に交流を持ち始めたのは秋からだった(柔道部は全国大会に出場したため引退が夏休み中だったし)。

 

しげるはチャリ通学だった。
学校から自宅までの直線距離が3キロメートル以上離れていないとチャリ通学はできない。

しかもダッサダサのヘルメットを着用しなければならない。思春期の子供にとってコレは意外と苦痛なものだ。

しげるはいつもヘルメットを着用せずにチャリ通学を続けていた。そう。しげるは根がちょっとヤンキー気質だったのだ。

 

ある日しげるが「チャリに乗っていくか?」と下校時に誘ってきた。
どういうことかというと、しげるの運転するチャリの後ろに乗れということだ。

正確に言えば、チャリの後輪の接合部のボルト部分に立って運転者の肩につかまり移動するシステムだ。チャリの後輪部分のボルトは人の足がのるような大きさにできていないため、人の足で乗るには非常に不安定だ。

下手をすれば走行中に足がずり落ちて体ごと地面に転げ落ちたり足が後輪に巻き込まれて大怪我をする恐れもある。

チャリの二人乗りはそのリターンに見合わなすぎる大デメリットを抱える非常に危険な行為だ。

しかし中学生の子供にとってそんな思慮に至る術はなかった。
なんぼでも登下校時に楽をしたかったし、ルールを破っているオレかっけーの精神も多分に作用していた。

 

私は当然、若気の至りで二人乗りに乗り出した(二重の極み)。

 

しげるのチャリの後輪には見たことのないごっつい金具が取り付けられていた。
人が乗るのに、正確には足で立つのに最適な金具だ。

直径10cm、長さ15cmほどの筒状の金属が車輪とフレームの接続部にねじ込まれていた。

これなら楽勝で二人乗りできるやんけ!

 

余談だが、後にこの中学校ではこの金具の取り付け禁止の規則が追加された。流行ったからである。この流行りの先駆者はしげるであると私は考えているがどうだろうかどうでもいいか。

 

というわけで、しげるの操るチャリの後ろに無事に立つことができた。
人間二人分の重量をチャリで漕ぐのはたいそうな体力を必要とする。途中、緩やかだが長い坂道があるのだがものともせずぐんぐんと直進していくしげる号。

 

そんな感じで下校時はしげるに載せて(『乗る』じゃなくて『載る』だなもはや)もらうことが多くなった。

 

 

それ以来、ちょくちょくしげると遊ぶようになった。
いっしょに調子こいてタバコをふかしたりしげるの兄さん(ホントのヤンキー)の制服スボン(ヤンキー仕様のボンタンを超えたバナナズボン)を買おうかどうか悩んだり(結局ヤンキーすぎるのでやめる)楽しいひとときを過ごした。

 

やがて冬が訪れチャリの季節が終わる。そのときに衝撃の事実が発覚した!

 

しげるのチャリは三段変速だった。
その変速機がなんと一年ほど前から故障しているというのだ!

 

そう。

しげるのチャリは常に一番重きに重すぎる「速」の状態に強制的になっていたのだ!!!!

 

 

その状態で人を後ろに乗せてあの坂道を漕ぎ続けていたのか!!!!!!!

 

すげー!!!!!

 

 

そういえば発進するとき必ず「ふんっ!」って言ってたもんなー。

 

ありがとう。しげる

 

 

以上、柔道で全国行くようなやつは脚力強いというお話でした。